【13】


「師匠!」

 兵士に先導され、罪人部屋へ向かったルークは、解放されて来たヴァンに駆け寄り、その体に異変はないかとざっと視線を走らせた。
 そんなルークを見て、ヴァンが肩を竦めて苦笑する。「未だ疑いが晴れたとは言えぬが、さすがに罪が確定もせぬのに何か危害を加えたりはせぬよ」
 ルークは厳しい目でヴァンを連れて来た兵を眺めやり、彼らの態度や表情に、ヴァンに対する敬意があるのを確認して、ほっと体から力を抜いた。神託の盾騎士団のヴァンと言えば、当代最強の騎士と誉れの高い著名人だ。ルークは身近すぎてそれと意識することはあまりないが、彼に憧れを抱く騎士や兵はキムラスカにも少なくないのだった。
「簡単ないきさつは、ご説明してあります」
「そうか」
 ルークが頷くと、それでは我々はこれで、と兵は敬礼して踵を返した。視界から彼らが完全に消えるまで、ルークもヴァンも無言でその背を見守っていたが、二人きりになるとひどく憂鬱そうにルークに向き直り、ヴァンは深くため息をついた。
「……行くか、アクゼリュスに」
「おれが行くって預言があるんだってよ」
「ユリア・ジュエの預言だな」
「そうそう。おれがキムラスカを繁栄に導くとかいう」
「その預言には続きがある。お前には当然話してなかろうが」ヴァンはふん、と鼻を鳴らして冷笑を浮かべた。王の間にいた面々を軽蔑しているのが露なそぶりだった。
「続き……?」
「ルーク」
 自分に言えない続きとはなんなのかと視線でヴァンに問えば、ヴァンはルークの両肩を掴み、思いがけないほど強い声で囁いた。
「私の元へ来ぬか、ルーク。神託の盾騎士団の一員として」
「……はっ……?」唖然として師を見上げれば、氷の青は強い意思と光を放ち、揺らめくような熱を籠めて、ルークを真っすぐに射抜いた。「せ、師匠? 何をいきなり……」
「いきなりではない、前から考えていた。……この国がお前に預言通りの役割を振るのでなければ、或いは言い出せなんだかも知れぬがな。なにしろ、お前は公爵家の一人息子であり、次期国王という使命をも持っている」
「『預言通りの役割』? ってことはやっぱり今回のコレ、伯父上の言葉通りの親善大使じゃねえんだな? あいつらがおれに何をさせようとしてるのか、師匠はわかってるのか?」

 障気で救助が必要だと言うアクゼリュスという街。
 そこに、ろくに公務の経験もない若造が「親善大使」として出向くという不自然。
 王の間でルークは疑問に感じ、反駁もしたが、すべては予定調和なのだとばかりに流されてしまったことだ。

「『若者は力を災いとし、キムラスカの武器となって──』お前の力を切っ掛けにルグニカ平野に戦争をもたらし、マルクトに領土を失わせる。それがこの国に未曾有の繁栄をもたらす嚆矢となる──お前の聞いた預言の続きだ」
「……つまり、伯父上は端から和平などする気がないと」
「預言で繁栄が約束されているのに、何故矛を収める必要があるのだ」
「……だよな」
 ルークはやれやれと眉尻を下げ、目を閉じてため息を付いた。思っていた通り、マルクトはキムラスカに翻弄される羽目になりそうだ。むろん、ルークにとってマルクトと言う国を代表するのがあのジェイド・カーティスである以上、同情の余地などからっきしないのだが。
「ユリアの預言はこれまで一度も外れたことがない。一度も、だ」
「……でも師匠は、預言に逆らっておれに国を捨てて来いって言う。何故だ?」

 ルークがそれを問うた瞬間、ルークの前ではいつも穏やかな師の仮面を付けていたヴァンの表情が、鋭く、挑戦的なものになった。それが酷く獰猛な獣の目のようにも見え、ルークはふと、タルタロスで「鏖殺の命」を出したのが師であったというのを思い出した。
「私の望みを叶えるのに、お前の力が必要だからだ」
「おれの力ってのは──つまり超振動のこと?」
「そうだ」
「良いことのために使うのか?」
「いや」人にない力を与えられたのならば、良いことに使いたい──そのルークの想いをヴァンは知っているはず。だがヴァンは、ルークの問いに穏やかな師の仮面を外した得体の知れない表情で首を振った。「この世界始まって以来の大罪を犯すために使うのだ」

 驚きに薄らと口さえ開けて、ルークはきょとんとヴァンを見上げた。言われた内容の割に、反応は小さかったかも知れないが、それはあまりに思いがけないことを言われ、とっさに処理出来なかったからだ。
 ヴァンの科白がじわじわと脳に浸透してくると、ルークはふうっと小さなため息をつき、眉尻を下げて苦笑した。
「いいぜ、師匠」
「……私の元に来るか?」
 ルークの反応が以外だったのか、ヴァンは片眉をあげて僅かな驚きを見せた。
「いや、そうしたいのはやまやまだけど……心底そうしたいけど、今確約は出来ねえよ、こんなんでも一応、あの家の跡取り? らしいしさ」
 ただでさえ、ルークは後ろ暗い噂をまとわりつかせて準王族たるファブレ家の恥部と化しているのだ。あまりにも思いがけない、あまりにも嬉しい誘いにうかうかと乗せられれば、家を出るルークはともかく残された家族が──母が、より厳しい世間の目にさらされる。母は社交界には顔を出さないが、卑しい噂や厳しい批判は使用人の間を矢のように走り、どこからともなく耳に入って母を苦しめることになるだろう。
 正直、ヴァンやアッシュほどの情を感じているわけでもないのだが、体も心も弱い母を徒に苦しめたいとは思わない。
「師匠の言う、『大罪』とやらに手を貸すって意味だ。……おれに、あの力が自在に使いこなせれば、って前提だけどさ」
「力の発動は私が補助するので問題はない。──だが、良いのか? 冗談や比喩で言っているのではない。私の行く道の前には、罪なき大勢の者の屍がうずたかく積みあがる。止まぬ慟哭と怨嗟の雨を浴びることになろう」
「一つ聞いていいか、師匠」
「なんなりと」
「アッシュとティアは、師匠のやること、知ってるのか?」
「アッシュはむろん。ティアに話したことはなかった」ヴァンはそこで困ったように首を傾げた。「だが……ファブレ邸を襲い、私の命を狙ったのは何かに気付いた証拠だ。今にして思えば、私たちの郷で最後に会ってから様子がおかしかった。すぐに気付いて対処しておれば、このような事態は避けられたはずだ」
 そうか、とルークは頷いた。故郷に関わる話、と言っていたような気がするから、ヴァンの言う通り故郷で何かを気付き、それを止めようと屋敷へ乗り込んで来たのだろう。
「本当に良いのか、ルーク?」
「ん?」
「あれは潔癖で正義感の強い娘だ。共に旅した僅かの間、お前もそう思うことがあったのではないか? そんな娘が兄を殺してまで止めようとしたことに、お前は本当に加担出来るのか?」
「くどいぜ、師匠。おれはバカで世間知らずで甘やかされたボンボンだけどさ、それでも師匠が私利私欲で動くような人じゃねえ事くらいは分かんだよ。アッシュだって、脅されたり、上官だからって師匠に従ってるわけじゃないだろ。師匠は、アッシュが誰にも心を開かないって言うけど──そうかも知れねえけど──でも、アッシュが師匠のこと好きなのは確かなんだぜ、絶対。そんな師匠と兄弟子のやることを、二番弟子のおれが手伝わないわけないじゃん」
「……誰も賞賛してはくれぬ。誰も理解してはくれぬ。世紀の大悪人と全人類に石持て追われても、お前はそのように言えるのか」
 どこか、不思議なものを見るような目でルークを見下ろしているヴァンの顔を、ルークはじっと見つめた。
「師匠のことだ、何か理由が──信念があるんだろ?」
「むろん。……だが、ルーク、」
「師匠の望みを叶えるためには、師匠が言うようきっと大勢──殺すことになるんだろ、多分、『あの力』……超振動で。けど、それが必要なことだと師匠が思ってるんなら、おれは躊躇わない」

 伯父、父を始めとするキムラスカ上層部、そしてヴァン。両者共にルークの力が必要だと言う。両者共にルークの力を利用しようとしている。だが、キムラスカのそれが完全に欲望からの命であるのに比べて──むろん、キムラスカの首脳陣がキムラスカの利益のみを追求するのは当然のことだ。例え、それがルークの意思をまるで確認しないものであっても──ヴァンはルークの気持ちを確認してくれた。ヴァンの大望が例えキムラスカ同様ダアトの利のみを追求するものであっても、どちらに力を貸したいかの答えなど決まりきっていた。

 ヴァンは一瞬、苦痛を堪えるように目を閉じた。
 だが再び氷の瞳を開けた時には、いつもの穏やかで、快活な師の顔に戻っていた。
「では、お前は予定通りにアクゼリュスへ向かえ。その間にキムラスカから何か指示があるならば、すべて従ってやって構わぬ。道中、お前の身辺は私が護る」
「神託の盾騎士団の主席総長を護衛に使うなんて、すげー贅沢!」思わぬヴァンの申し出に、ルークは半分泣き笑いのような表情を見せた。「そんなちっせぇ仕事に謡将を使うなって、騎士たちから恨みを買いそうだ。──だからってわけじゃねえんだけど、師匠、おれ……」

 人一人を死なせてしまって、ルークは酷く衝撃を受けた。結局、あれから一度も剣を取っていない。
 だが、ヴァンを手伝うのなら、この先もっと大勢の血でこの手を汚すことになるのだろう。アッシュが、綺麗なまま保とうと腐心している、この手を。
 タルタロスで殺めてしまった兵、そしてこれから先、ルークの道の前に倒れ逝く者たち、彼らとヴァンの……そしてルークの正義が相容れることはないだろう。ルークは、それを仕方ないと切り捨てず、矛盾も葛藤も苦痛もすべて抱えてその屍を踏み越えてゆく、その覚悟が定まったのだ。
「アッシュは嫌がるだろうけど、護られてばかりはやっぱり嫌だ。おれは剣を取ろうと思う。いつか、剣によって倒されることも覚悟の上で」
 人を倒す──殺すのも、殺されるのも、ルークにはひどく恐ろしいことだった。木刀ですら持つことが出来なくなるほどに。
 だが同時に、ガイやアッシュだけにその覚悟を負わせ、ただ守られていることは、もっと恐ろしいことだった。その恐怖に耐えるのが王者の努めだと言うなら、ルークは元より王には向いていないのだろう。

「……そうか。剣を持つ覚悟が決まったか」ヴァンはアッシュのように頭から反対することもなく、静かに頷いた。その穏やかな表情には、むしろ賞賛の色すらあった。「腕を上げたな、ルーク」
「え? ……や……ここんとこおれ、ずっと稽古サボってて……」
 恥ずかしげに視線を逸らしたルークの耳に、いかにもおかしげな低い笑い声が聞こえた。
「剣を持つということの本当の意味を知り、それを背負う覚悟を持つか持たぬかで剣の腕は一段変化するものだ。ルーク、もう一度剣を持て。その重さに最初は怯むかも知れぬが、お前の剣はお前の覚悟に寄り添い、今まで以上にお前を護り、お前の敵を排除する、一番の味方になってくれるはずだ」
「……そうかな」ルークはほんの少しだけ柔らかくなってしまった手のひらをじっとみつめ、ぎゅっと握った。「……師匠」
「なんだ」
「師匠はどうして、おれのことそんなに親身になってくれるんだ?」
 よほど思いがけない質問だったのか、ヴァンは一瞬、虚をつかれたような無防備な表情を見せた。初めて見る師の珍しい表情にルークが思わず驚いてしまうほどに。
「……わからぬ。ルーク、私には本当に余裕がない。その時、その時、己に出来る最善の手を打つ、そのために出来ることはすべてやっておくだけだ──弟子であるアッシュにも、お前にも、特別なことは何もしておらぬ……」
 本当に考えたこともなかったのだろう、ヴァンは半ば呆然としたまま纏まらぬ答えを口にしたが、話の半ばでいや、と頭痛を堪えるように額に手を当てた。
「……私の子供時代もろくなものではなかったが、悲惨さで言えばお前たちも大したものだ。お前がそう感じるのなら、同病相憐れむというのか……私はお前たちに同族意識を持っているのかも知れないな……」
「……お前たち? アッシュはともかく、おれなんかたいしたことねーぞ」
 ろくなものではないというヴァンの子供時代とはどんなものなのかと気にはなったが、アッシュに顔を見せろと言えないのと同様、問うことは出来なかった。
 ルークの言葉に、ヴァンはひどく曖昧な笑みを見せた。


随分間が開きましたが、話数がまだ少なかったし、話を作り込んでいなかった分修正がしやすくて助かりました。ドMなアッシュを期待していた方(いるの?)には申し訳ないですが、若干のワンコ属性はあるものの極々フツーの主従ものっぽくなると思います。続きは……せめて月2くらいのペースで 更新したい。 (2018.03.31)