【15】


 ケセドニアに到着する頃には、一行に漂うどこか歪な空気はどうあってもごまかしようがないほど濃いものになっていた。
 一行を率いるのは、国から大使の任命を受けたルークではなく、今やナタリアであり、ジェイドであった。ルークがそれに対して不服を申し立てることがないため、その歪さは一見表層化し辛いものだったが、そんなルークにナタリアは少しばかり不満を抱いているようだったし、他の者たちはそれをすでにはっきりと悟っているだろう。そしてジェイドはルークに対してどこか見下したような発言を繰り返す。
 それは名目上代表者であるルークが何も言わずナタリアの後ろに下がってしまっていることに対してのみではなく、以前ティアの後ろに隠れて戦いもしなかったことに対して彼が感じた軽蔑の念でもあるのだろう。一軍人の彼と次期国王のルークでは身分も立場も違うのに、自分のところの国王と同じように考えてもらっては困るのだが、その辺りのことをどうやらわきまえることが出来ない人間にいちいち口を開くのももう面倒くさい。

「ようやくケセドニアに着いたな」
「ここから船でカイツールに向かうのね?」
 まともな宿で体を休めることが出来ない日々が少し続いたため、一行は大小の差はあれどそれぞれが疲弊していた。大陸きっての大都市であるケセドニアならば、この時期に宿を取りはぐれることなど無いはずだと、気取りやのマルクト軍人ですらほっと弛緩した表情を隠しきれていない。
「マルクトの領事館へ行けば、船の案内をしてくれるはずです。まず領事館へ行きましょう。宿の手配もしてもらえればいいのですが」
 ナタリアも頷き、一同を見回した。「皆さんお疲れでしょうが、大佐のおっしゃるとおりに致しましょう」
「イオンはどうする」
 マルクトの要請で動いているのだから、そのぐらいは当然とルークも頷いたが、ふとこの一行にはいわば部外者がいるのだと思い当たり、ルークはイオンと導師守護役を振り返った。
「とりあえず、六神将の狙いが分からない限り、彼らにイオン様を奪われるのは避けたいわね」
「六神将……ヴァン師匠に命を下すのはモースだろう? お前、モースからなんか聞いてねえのかよ? あいつ、伯父貴にも色々吹き込んでるようで……なんか得体が知れねえんだよな」
 至極真っ当な疑問であったが、それを聞いたティアはつり目がちの目をさらにきりきりとつり上げてルークを睨みつけた。
「あなたは何かモース様を誤解しているようね。得体の知れないのは兄さん──ヴァンの方よ」
「もしもご迷惑でなければ、僕も連れて行ってもらえませんか? 僕はピオニー陛下から親書を託されました。ですから、陛下にはアクゼリュスの救出についてもお伝えしたいと思います」
 ルークとティアの間に諍いが発生しそうになっているのを止めようというように、イオンが穏やかに割って入る。
「よろしいのではないですか。アクゼリュスの件が終わりましたら、私とグランコクマへ参りましょう。──いいですかね?」
 決定していることをわざわざ聞くこともあるまいに、とルークはため息をついた。そもそも、当初の予定ではこの一行の中にイオンはいないはずだ。ルークの親善大使としての役目が終わった後のイオンの動向を、なぜルークに伺う必要があるのか──むろん、ジェイド一流の嫌みでしかない。
「──って言ってるがいいか、ナタリア?」
 おやおや、と片眉を上げるジェイドを無視して、ルークはジェイドへの返答をナタリアに丸投げすることにした。ナタリアは外向きの他人行儀なルークの問いに、少し目を見張ったあと眉を寄せたが、ジェイドとイオンには笑顔を向けた。
「良いと思いますわ」
「……では、またしばらくよろしくお願いします」
 不穏な空気を察したか、イオンはルークに気遣うような視線を向けたが、すぐに穏やかな表情を取り繕い、静かに頭を下げた。

「大佐、ルーク様、お待ちしておりました。グランツ謡将より伝書鳩が届いております」
「師匠から? 何と言ってきてる?」
「先遣隊と共にアクゼリュスへ向かう、と」

 さすがに早い、とルークは目を細めた。もたもたしていてはヴァンの手伝いが出来なくなってしまうかも知れない。ただでさえ体力の無いイオンに合わせているため日程もずれ込んでいる。
「僕たちも急がなければ」
 どうしたものかと考え込んだ直後、イオンがそう言った。
 不思議なことに、ルークからみればどうかと思うような意見の時でさえ、イオンの意見はだいたい通る。しかもこの時は皆が同じように思っていることだったからか、全員の意見はすぐに賛成の方向で決まったようだ。ルークも急ぐべきだと思っていたから、これは実のところありがたい提案ではあったのだが、もしかしたらイオンは皆のその焦りに合わせたのではないかと、それが若干気にかかった。
「イオン、体調はどうだ? 休まなくて平気か?」
「大丈夫です。心配して下さってありがとうございます」
 皆に気付かれないようにこっそりと聞けば、イオンは嬉しそうに笑った。無理をしている表情ではないのを確認し、頷く。「ならいい。──すまないな、イオン。でも、助かる」
 それでも気を遣ってくれていることには変わりないと礼を言うと、
「僕も焦っているようです。僕に時間をかけたせいでアクゼリュスに何かあってはなりませんからね」
「そっか。じゃ、その頑張りを無駄にしないよう、もう少し頑張ろうぜ」
 ルークは頷き、港へと歩き出した一行に続くべく、イオンの背に軽く手を添えた。

「ルーク、さっきのは一体なんですの?」

 カイツールへ向けて船が発ち、ざっと船室といざと言う時の避難経路を確認して──こういうことを習慣付けるようにと、タルタロスでアッシュにうるさく言われたのだ──ルークは甲板に上がって海を見ていた。自分が船酔いしない体質なのはもうわかっているが、なんとなく部屋にこもっているより気分が良いような気がする。
 こうして船の軌跡に添って白く泡立つ波を見ていると、ケセドニアを発った時のことがなんとなく思い出され、じっと左の手のひらを見つめ、握り込む。
 単独で超振動を起こす力……。
 それが、今回の旅の鍵なのは間違いないだろう。ルーク自身が「赤い髪の男児」かと問われれば実のところ髪の色のせいもあって疑問だし、実際に「人々を引き連れ」ているのはジェイドでありナタリアであるのだが、名目上はルークが代表者。まず預言通りと言って良いのだろう。そもそも、預言は外れることがない。
 となれば、この力で何かを成さしめるのだろうが、いくら考えてもピンとこない。「超振動」については本に書かれている以上のことを知らないし、自分の力がどれほどのものなのかもわからないのだから、それも当然かとため息をついたところで、後ろから声がかかったのだった。

「さっきってのは?」
 本当にわからず首を傾げると、ナタリアは腰に手を当ててきりきりと眉を上げた。「イオン様のことについて、わたくしに返答を振ったことですわ! 代表者はあなたですのよ?! もっとしっかりしてくださいませ!」
「……はあ?」
 ルークは驚いてナタリアを見つめた。驚き過ぎて、一瞬言葉を失ってしまったあと、空を見上げて目を閉じ、深くため息をつく。「お前、わかってて付いてきたんじゃねーのかよ」
「何をですの!」
「お前『キムラスカ王女』、おれ『一貴族』。意見が対立したら、皆どちらに従うと思う?」
「どういう意味ですの、一貴族といっても、この使節の代表者はあなたですのよ!」
「皆の意識の中では、とっくに代表者はおれからお前に交代してる。そうなるってことはわかってんのかと思ってた」

 ルークはナタリアの婚約者であり、次期国王と言われている。だがティアやアニスらが知らなかったように、それはキムラスカでもある程度身分があるものたちの中でのみ周知されていることで、国外にもあまねく知れ渡っている事実ではない。一部のものたち以外には、ルークはあくまで「公爵家の息子」でしかないのだ。一国の王女様と公爵の息子、二人の意見が仮に一致しなかった場合、当然皆は「王女様」の意見を聞くべきだ、聞いておけば間違いない──己の立場的にであって、意見が正しいという意味ではない──と判断する。それが「公爵子息」ではなく「親善大使」となっても同様だ。王女の身分を越えるものではない。
「廃工場でお前が付いてくるって言ったとき、おれは一応止めたけど、お前は聞かなかった。その時点で、王女の意見の方が優先されるべきだと、お前自身が証明したんだろ。意地の張り合いみたいにおれがお前に反論して良いことなんてなにもねえ。いざってときの為に指揮系統を混乱させたくない」
「……っ、わ、わたくしが、身分をかさにきたとおっしゃりたいの?!」
「お前自身にそのつもりがあったかなかったかは関係ねえんだよ」
 遠回しな肯定に、ナタリアは初めて愕然とした顔をした。「あ、あなただって、結局は賛成してくれたではないですの!」
「賛成なんてしてねえよ、折れただけだ。他国のものたちにキムラスカ王女と親善大使が争っているところを見せられねえだろ」
「そんな……あなたは結局、わたくしが一緒に行くのを賛成して下さったのだとばかり……」

 記憶を失い、知識を失い、『約束』を失い──歩くこと、話すことすらおぼつかなかったルークを、ナタリアがいつまでも子供のように見てしまうのは、仕方がないことなのかもしれない。ルーク自身はアッシュと共に死にものぐるいで努力して、なんとか記憶を失う前の水準くらいには持って行けたのではないかと自負していたが、きっとナタリアは、赤んぼ同然のルークが他国との親善大使を恙無く務め上げるだろうという信用が出来ないのだ。だから自分が傍にいて、昔のように手取り足取り面倒を見なくてはならないと思うのだろう。
 それだけではない。
「お前が国での自分の役目を全部放り出しておれに付いて来たのは、親善大使の役目をおれが果たせるとも、ティアに手を付けないとも、思ってねえからだろ」
「そんな! わ、わたくしは、二国の和平が成るかという大事に、わたくしにも出来ることがしたいと……!」
「本気でそう思っているのなら、お前は国にいるべきだったんだ。お前のような立場の者は、物事を俯瞰して見なければならないことが多い。だけど、こんな旅の空の下じゃ、どんな重要な情報だって国にいるより遅くなる。お前は、お前の名で行ってる福祉関係の事業をいくつか持ってたと思うが、責任者のお前がなぜそれを放置する? 何か問題が発生したところで、旅をしているお前のところまで連絡が回るのにどれくらいかかるだろう。更にその返答が本国に届くまでに、また状況が変わっているかも知れない。その変化に合わせて、臨機応変に対応出来る立場の者がいるか? 正しい判断を下せて、なおかつ身分で発言を流されたりしない誰かが」

 そういうことをすべて中途半端に放棄して、「出来ることをしたい」というのは、本気で意味がわかんねえ。

 どこかで、ルークを未だ頼りない赤ん坊のように思っていた。その事実を突きつけられ、ナタリアは呆然とルークを見つめた。何度か反論をするように口を開けたが、そのたび何も言えずに口を閉じる。
「だ……だって、あなたが……あなたがいけないのですわ……わたくしとの約束を、忘れてしまわれたあなたが……」
 ようやく口から零れ落ちたのは、そんな情けない恨み言でしかなかった。
「だからおれが信用出来ねえんだって?」
 やっぱり結局はそこなのかと、ルークはため息をついた。
 今更傷付きはしない。うすうす気付いていたことだ。
 そのことはナタリアには頻繁に思い出すように言われて来たけれど、忘れてしまったのも思い出せないのもルーク自身のせいではない。自分には努力のしようがないことを期待されても困るのだ。
「……前から考えてたんだけど、その約束ってやつ、悪いけど破棄させてくれねえか?」
「ルーク?!」
 ナタリアは、これまでに一度もルークが見たことがないほど愕然とした顔をした。
「おれ、勉強なんかも思い出すのは諦めて一から勉強し直してんだ。おれにとっては記憶を取り戻す、ってどう努力すればいいかもわかんねえことに時間を費やすより、一から勉強し直すほうが簡単だし、頑張れる。そうしたら、教師たちもおれの扱いが分かりやすくなったらしくて、今じゃ熱心に教えてくれてるよ。もう十歳までのおれなんか、越えてんだ。すげえ頑張ったって、皆が褒めてくれる」
 ──まあ、その筆頭はアッシュなのだが。彼がルークを優秀だ天才だとやたら褒めそやすのを表向き興味無さげに躱しつつ、裏ではその気になって本気で頑張ってしまった。もう教師たちはルークが以前の事を思い出すべきだなどと思っていない。だって、授業はとっくに記憶をなくす前に修めた部分を越えてしまった。それを期待しているのは、今やナタリアだけなのだった。
「お前にとって、今のおれはいねえも同然なんだよな。お前の中では『ルーク』は今も行方不明のままで、いくらおれが努力した所で偽物の『ルーク』でしかねえ。前のおれと今のおれが別人なら、今のおれに以前の約束を押し付けられても困る。──そうだろ」


苦戦してました。一気に話が進むはずが……進まない。(2018.06.03)