【10】


 鳩を飛ばすため、最初に街道を逸れて小さな集落に立ち寄ったあとは、ただ真っすぐに街道を旅した。街道沿いには旅人や隊商などがまとまって野営を行う安全な場所もあったが、主にルークの希望で、三人はできるだけ大勢と接触する野営地として定められた場所は避けて進んだ。火傷を仮面で隠しているアッシュの精神的な負担を増やしたくないというのがその理由だったが、ガイなどはルークのいつもの我が儘だと思っていたようだ。そう思わせておくほうが面倒がないので、ルークもことさら傲慢に「庶民が大勢いる場所はウザい、面倒」と言い張ったが、ただでさえ細やかであったアッシュの使用人ぶりが、さらに丁寧に──ほとんど下僕のレベルにまでなったところを見ると、彼のほうは自分が気遣われていると薄々勘付いていたかもしれない。
 口に出せば「そんな気遣いは不要」と言われるのだろうが、ルークはあくまで我が儘で通したし、アッシュはあれこれとルークの世話を焼くのが嬉しくてならないようすだったから、一方的に奉仕されることに躊躇いを感じながらも、ルークはそれを強く拒絶することができないでいる。

「ヴァン師匠!!」
 カイツールに着くと、真っ先に出迎えてくれたのが師であるヴァンだった。少し険しかった表情が、ルークを確認して穏やかに綻ぶ。胸に安堵感が広がり、ルークはヴァン目がけて思い切り駆けた。
「ヴァン師匠迎えに来てくれたのか?!」
「むろんだ。この度は愚妹が迷惑をかけたな。お前が無事で本当に良かった」
「あっ……ティアは……」
 途中で別れてしまったことをどう話そうかと口ごもると、ヴァンはいつもの仕草でルークの髪をくしゃりと撫でた。「ああ、一昨日ここで会ったよ。お前のことを酷く心配していた。アッシュが付いているのだから心配いらぬと言ったが」
「じゃあ、誤解は解けたのか? 師匠のこと、なんか色々言ってたけど」
「……どうかな。完全に納得はしておらぬようだったが」ヴァンはいっそどうでも良いことのように答え、こちらのほうが大事と言わんばかりに後ろに付き従うアッシュに頷いてみせた。「良く護った」
「ルーク様は我が儘もおっしゃらず、慣れぬ野宿の旅を楽しむ余裕もお持ちで、お護りしやすい方でした」
「そうか、さすがは我が弟子だ。よく頑張ったなルーク」
 ヴァンが再びルークの髪をくしゃりくしゃりとかき回す。もうほとんど癖なのであろうその仕草が照れくさく、ルークは熱くなる頬を二人から隠すようにそっぽを向いた。
「ルーク、宿に部屋は取ってある。しばし休め。アッシュ、報告を聞こう」
「はっ。では先にルーク様を」
「じゃあおれたちは先に行ってんな」
 ルークは素直に頷いたが、アッシュは一瞬狼狽えたようすを見せた。宿までルーク一人にすることを恐れたのかもしれない。ガイもいるのだが、アッシュが護衛としてガイを当てにしていないことは明白だ。
「護衛ならガイがいる。おれは剣を抜かないと約束する」
 アッシュがぐずぐず言い出すまえに退散するのが正解と、ルークはさっさと師とアッシュに背を向けた。
 どこか縋るような視線が追ってくる気配を感じたが、本来それが彼の本職のはずとあえて無視し、ガイを促す。

 付き合いがそれなりに長いせいか、ガイと気まずくなったのはあの一瞬だけだった。だが、互いに本音を晒した事実は消せず、ガイはきっと今もアッシュをかつての誘拐犯を見るように警戒しているのであろうし、「使用人のくせに主人の面倒を見ない」と言われたも同然の身を省みてかアッシュのように細やかではないもののなにかとルークの体調や気分を気にかけるそぶりをみせるようになった。
 言うなれば心の距離は開いてしまったわけだが、ラムダスの言うように使用人との間にはけじめが必要なのだと己に言い聞かせて寂しさを紛らわせている状態だ。

 ややあって、アッシュだけが宿へやってきた。ルークが疲れて休んでいるのではないかと思ったのか、ずいぶん控えめになされたノックは、ルークがアッシュを待ちわびていたのでなければ聞き逃してしまっただろう。
「ヴァン師匠はどうしたんだ?」
「ヴァン謡将は先に軍港に向かい、船の手配をされるそうです。ルーク様のご無事を確認されたあと、すぐに出立されました。国境を越えるための旅券は俺が預かっています」
「……ん。ありがとな」
 自分のために、師に余計な労苦をかけるとルークは顔を曇らせたが、それは目の前のアッシュも同様なのだとすぐに気持ちを切り替える。
「師匠、個室取ってくれてんだ。夕食までお前も休めよ。シャワーも付いてるこんなちゃんとした宿は久しぶりだろ」
「……そうですね」
 アッシュが苦笑する気配を感じた。つられてルークも笑ってしまう。身分の高い人間が宿泊することなど全く考慮されていない、飾り気のない素朴な宿を、自分が「ちゃんとした宿」と称してしまったことをおかしく思ったのだ。

 ガイ、アッシュとの三人旅になってのちは、ルークは野営の見張りを一度も務めていなかった。ガイは一人頭の負担を増やさないように平等に努めるべきだと意見したし、それに対してはルークも最もだと思ったのだが、買い出しや食事の準備、水汲みをルークに任せてくれることはことはあっても、見張りをさせることは決してなかった。ルークの実力を信用に値しないものだと思っている可能性ももちろんあるが、一番の理由はやはりルークの身分の高さを慮ったからだろう。ヴァンからルークを護るよう言いつかっているアッシュは、おそらくルークにしっかりと休息を取らせる義務があると考えているのだ。
 アッシュは自分が見張りの番であるときはもちろん、ガイのときでも眠りが浅かった。魔物の気配に気付いてガイが剣を抜き放ったときにはすでに起き出して剣を取っている。だからこういう安心出来る場所で眠れる機会には、ゆっくりと休んで欲しい。
「宿なら魔物が襲ってくることもねーし、安心だろ? 夕食になったら起こしに行ってやるから、お前は今までのぶんしっかり休んどけよ! ──また明日からきつくなるんだしさ」
「はい」アッシュはなんとなく嬉しさを秘めた声で素直に頷いた。「俺などにお気遣い、ありがとうございます」

「……お前がそう思ってなかったとしても、おれはお前のこと、友だちだと思ってるから」

 だから「俺など」はよせ──。

 扉が閉まる瞬間、ルークは独り言のように呟いた。アッシュに聞かせる気などなく、思わず零れ出た小さな本音だった。
 結局、ガイにしろアッシュにしろ、ルークを本気で友だちだと思ってくれることなどないのだ。決して。それほどに、身分の差は大きい。ましてやルークはいずれ王女と結婚し、キムラスカの王位を継ぐ身だ。

 ぐしゃぐしゃと頭を掻き回し、ルークはブーツも脱がずうつ伏せにベッドに倒れ込んだ。そのまま大きく息を吐く。
 市井の人々のような旅は楽しかったが、同時に抗いようのない現実をも突きつけてくる。
 ルークのような身分では、きっと真の友を得ることなど不可能なのだ。おそらく本当の恋というものをすることもないのだろう。
 従姉妹であり、婚約者であるナタリア王女のことは嫌いではない。失った記憶を思い出せとしつこいのと口うるさいのがたまに煩わしいけれども、明るく、性質も良く、今から国の行く末を真剣に考えている。きっと国にとって良い王妃になるはずだ。ルークだって全力で努めるつもりでいるし、他国といえど市井の人々に混じって旅した経験は、屋敷に閉じこもっているよりもずっと統治を行う上で助けになっただろう。

「貴族はしょせんこんなもんなのかな……」

 庶民がごく普通に求め、得るものを──諦めて生きて行かなければならないのか?
 軟禁場所をファブレ家から王城に変え、なに不自由のない日々を過ごしながらも、息苦しさを感じる、そんな生活が一生続くのか……。
 そうならば、なんて貧しく、寂しい人生なんだろう。

 その代償が高価な衣装や美食、豪華な住まいなのだとしたら──そんなものは無くても良いから心から安らげる人の傍で寛いだ生活を送りたいと思うのは、我が儘なことなのだろうか。

 ──その日、夕食に起しに来たのは、結局アッシュのほうだった。

 カイツールを発つと、安堵感と共に喪失感も胸を過った。
 ここからはただの旅人ルークではなく、公爵家のルーク・フォン・ファブレとして扱われるのだ。
 屋敷からタタル渓谷へ飛ばされた当初こそ面倒なことになったと頭を抱えたものだが、今では本来有り得なかった貴重な機会だと様々なことを学びつつ楽しんでいる。だが国へ帰れば、また屋敷から一歩も出ることができない軟禁生活が待っているはずだ。そう思えば、足取りも鈍る。

 カイツール軍港に着いたとき、そこに敬愛するヴァンの姿を確認したにもかかわらず、がっかりしてしまったのは初めてだったかもしれない。
「……ヴァン師匠。船はもう?」
「ああ、すぐにでも乗船できるが……どうした、ルーク。元気がないようだが……」
 ヴァンが怪訝な顔をアッシュに向け、アッシュが首を傾げるのが視界の端に入った。
「なんでもねー。……旅ももう終わるんだなって思っただけだ」
「……」
 ヴァンは何も言わなかったが、少しだけ眉を顰めてくしゃくしゃとルークの頭をかき回した。或いはルークの気持ちをわかってくれたのかもしれない。
 いつまでも子供扱いされている、と思うが、相手がヴァンだと嬉しく思いこそすれ腹も立たない。
「こちらへおいで。ひとまず一服するとよい」
「……うん」

 ヴァンに促されるまま来客用の部屋に移動すると、見覚えのないキムラスカの貴族が一人、ルークの姿を見て立ち上がった。
「ルーク様、アルマンダイン伯爵でいらっしゃいます」
 誰だ? と思った直後、背後からアッシュが囁いた。
「アルマンダイン伯爵」
「おお、幼いころ一度お屋敷でお会いしただけにございますのに、憶えていてくださったか」
「いや、さすがに顔まではな……」
 キムラスカの要人として名や業績は記憶にあったが、顔と一致してはいない。正直に申告すると、それでも伯爵は嬉しげに笑った。
「それでなぜ伯爵がここに?」
「導師イオンとネクロ、……連れの方々が王都に向かわれたと勝手ながら伝書鳩で連絡を致しました。そのご報告とルーク様のお迎え、お見送りに参上したのでございます」
「そっか、ありがとな。……本当は、おれが一緒に連れて行くはずだったんだけどさ」
 とんでもないと目を剥く伯爵を見て、導師やその守護役はともかく、マルクト軍人の態度が気に触ったのであろうことがなんとなく想像できた。彼は自分の立場や相手の身分によって態度を改められるほど大人ではない。そもそも『ネクロマンサー』という彼の二つ名はキムラスカにおいて悪名として轟いている。ティアがまだ一緒にいるのか、いたとしてもルークの誘拐犯と認識されていたのかはわからないが、彼と同行する限りキムラスカに良い印象は与えまいと少しばかり不安になった。
 キムラスカが、あのマルクト軍人を使者として寄越したマルクトの意図をどう取るか、申し出を受けるのか突っぱねるのか興味はあったが、今アルマンダイン伯爵に問うても答えられないことだろうし、そもそも政治に参画もしていないルークが口出しをすることでもなく、「ルーク様が案内役をなさる必要などない」と力説している伯爵に曖昧な笑みを見せるに止めたのだった。

 誘拐犯から助け出されたのちの記憶があやふやな時分から、ルークは時折原因不明の頭痛に悩まされる。苦痛の合間に、全く知らない──或いは良く知っているようにも思う男の声が聞こえるような気がすることもある。
 それが誘拐犯と関係しているのではと思い、声の主をなんとか思い出そうとしてみるのだが、激痛はいつもルークから徹底的に集中力を削ぎ、それを阻んだ。
 旅に出て以降は一度もなかったが──いや、思い返せばタタル渓谷に飛ばされた直後もなにか聞いた気がするが──以降置かれた状況があまりにも常軌を逸していたため、今の今まで忘れてしまっていたその痛みが、決して誘拐で受けた屈辱を忘れるなとルークを苦しめる。今回のそれはこれまでになかったほど激烈な痛みであり、ルークの意思に反してマリオネットのように体がカクカクと動いた。体中からなにかがしみ出しているような感覚が起こる。
「な、なんだよこの光……」
 それは光だった。
 最初は淡い光であったものが、やがてまばゆいばかりに溢れ出す。それはもやもやと全身を包み込み、やがて一点に向かって集束し始めた。

「な、なんで……? 体が勝手に、動、く……」

《ようやく捉えた……》

「だ、誰だよお前?!」

《我と同じ力、見せてみよ……》

「痛……っ、お、お前がおれを操ってるのか?! お前が、七年前おれを……?!」
「ルーク!!」
 突然耳に飛び込んだ声に目を見開き、まるで錆びた歯車のように自由にならない首を無理矢理動かした先に師の姿を見つけ、ルークは安堵で力の抜けそうな全身を叱咤した。
「ヴァ、ヴァン師匠……! 体、が、勝手に……っ」
「落ち着きなさいルーク! 深呼吸して……そうだ、大きく息を吐いて、吸って……いいぞ、もう一度……」
 激しい頭痛を堪えながら、磁石に引かれるように勝手に動き出そうという体を全力で制御し、師の指示に従い、必死で息を整える。呼吸に集中して深呼吸を繰り返していると、やがてふっと主導権が戻る感覚が起こった。
「あ……」
「よし、そのままゆっくり両手の先へ意識を持って行くんだ……力を抜いて、そのまま……」
 背後からルークを抱え込むように支えているヴァンにほとんど体重を預ける形になったが、全身を包んでいた光は吸い寄せられるように両手の先に集束し、消えた。


多分後日修正入れると思います。(2015.10.27)