【9】


「ルーク! 心配したぜ! 元気そうで良かった!」
「はっ?! ガイ?! なんでお前がこんなとこ!!」

 タルタロスを乗り捨てる地点へ向かっている途中、ルークの幼なじみ兼護衛剣士のガイがアッシュに連れられ乗艦してきた。救出に来たつもりだったが、ちょうど脱出したジェイドとティアに会い、ルークがアッシュの保護下に入ったことを知ったのだと言う。
「行き違いになんなくて良かった。屋敷に混乱は……」
「ないわけないだろう、奥様は倒れちまったし、大騒ぎだ。もうどっかで鳩を飛ばしたんだろうな?」
「……っ、いや、まだ……」
「なんですぐに連絡しないんだよ! 手段がなんにもなかったって言うのか?!」
「い、いや、おれ……気付かなくて……。エンゲーブから飛ばせたのに……」
 頭を抱えるルークをハラハラとした様子で見、どこか呆れたように苦笑するガイにアッシュが低く掠れた声で唸った。「ルーク様は、本来そんなものをご自分で用意せねばならないご身分ではないのですから、気付かれずとも当然です」
 その通りではあるが、ルークとて鳩便の存在は知っていたのだから、思いつくくらいはあっても良かったはずだ。
 ガイが「こいつなんなの?」とでも言いたげな視線をルークに向け、軽く肩を竦める。
「いや、いくらなんでもそのくらいは気付くべきだったんだ」
 初めて目の前に広がった自由な世界に浮かれ、当然心配しているだろう母のことを思い出しもしなかった。なんと薄情な息子なんだろう。
「カイツールまでに、小さな集落をいくつか通ります。鳩を送るくらいは出来るでしょう」
「……だけど遠回りになるよな。悪い」
 頭の中に地図を思い浮かべながら言うと、アッシュは苦笑でもしたのか喉の奥で空気の抜けるような音を立てた。
「あなたを無事にお返しするまで心を砕くことが、今の俺の任務です」

 アッシュが最後の引き継ぎのため退室すると、すぐにガイがヒュウ、と口笛を吹いた。「ずいぶん懐かれてるじゃないか、ルーク」
「……」
 屋敷にいたころ、この二人が顔を合わせることなどほとんどなかった。アッシュのみが屋敷に来るとき、ルークは彼のために出来るだけ人目を遠ざけたかったし、ガイはガイでのっぺりして気味の悪い仮面を被った少年を、どこか胡散臭く感じている節があった。
 顔を合わせるなりそれを全開にするガイに、ルークはジェイドに観察されているよりも胃の痛む思いがした。

 タルタロスを降りて、アッシュ、ガイとの旅が始まると、二人の敵愾心にストレスを溜める前に、ルークはアッシュとの隔たりを感じることになった。
 彼は人目を憚る徒歩の旅に恐縮しきっていたが、ルークは旅の速度が遅くなること、異国の地をゆっくり見て回れることのほうが嬉しく、ろくに景色も堪能できない馬車での旅より気に入っている。ティアとの旅を始めたころはすぐに脚が疲れたし、足裏が肉刺だらけになって痛い思いもしたが、今では旅人らしい速度で移動も出来るようになり、鄙びてのどかな風景や、集落や村で人と触れ合うことも楽しめるようになったのだ。
 なのに当初アッシュはルークに、縦のものを横にさせようともしなかった。最初の休憩地点で、アッシュはルークを座らせるために敷物を敷き、湯を沸かして茶葉を取り出したし、野営地が決まり保存食を使っての夕食が終わると、森で採取した薬草を煮立てた湯でルークの脚を洗いさえしたのだ。
 これではガイとアッシュ、どちらがルークの使用人なのかわからないくらいだ。いや、ガイでさえここまではしない。
 夕食後、ろくに休まず薬草を探し歩いたのであろうアッシュの努力を無駄にしたくないからこそ、精神的にかなり疲れながらもルークはアッシュの好意を受け入れた。その際、使用人のような真似は二度としなくていいと遠回しに伝えもしたが、実際に薬湯で洗われ、足裏や指を丁寧に揉まれると、心地よさにため息が出た。そんな様子を見てアッシュはひどく機嫌が良さそうで、遠回しの言葉など通じていないかもしれないと思ったが、案の定聞かなかったことにしたらしく、アッシュはそれからも毎晩ルークの脚をつま先まで丁寧に洗い、揉み続ける。ルークも、二度は言わなかった。軽蔑と呆れの混じったような複雑な視線をガイがアッシュに向けているのに気付くと、しなくてもいいと言ったにも関わらずお前よりアッシュのほうがおれを気遣ってくれると腹が立ちもしたからだ。
 だが高貴なる姫君のような扱いには、戸惑うことの方が多かった──公爵家の跡取り息子なのだから高貴な身分には変わりないとしても、少しでも荷物を軽くしなければならないこのような旅で、ルークのための敷物や茶道具を持ち歩くのは無駄としか言いようがない。茶を喫するのはまともな宿に泊まれた時だけの贅沢にして、後は水分、塩分を補給するくらいで良い。少なくともティアはそう言っていたし、ルークも最もだと思っていた。ティアと同じ神託の盾のアッシュも、自分一人ならきっとそうしたはず。いくら好意からとしても、許容はし辛かった。

 だが、それでもなお、ルークはガイよりもアッシュのほうが気安いと感じるのだ。傍にいて、気持ちが安らぐのは断然アッシュのほうだった。

 直感、というものか、どうしてそう感じるのか自分でも説明が出来ないのだが、アッシュはルークが人として許されざる言動でもしないかぎり、決してルークを嫌ったりしないだろうという確信があった。たった三人の旅でルークが戦力にならなくとも──魔物を殺すのだってルークは非常に苦痛を覚える──呆れたり苛立った様子を見せない。どころかガイが何を言おうと断固としてルークに剣を抜かせなかった。無知故にとんでもないことをしでかしても、ルークが知らないのは当然とばかりに、それに気付かなかったことを詫び、丁寧に教えてくれる。
 思えば、屋敷に通って来ていたころからアッシュはそうだった。ルークに教えられることがある、役に立てるということが嬉しくてならないようで、教えた以上のことをルークがやりこなすと、我がことのように喜んていたものだ。

 ガイのことだって、ルークは友だちのように思っている。その態度は時に保護者のようではあれど、彼もまた友人だと言ってくれる。だが、ガイは金銭と契約によって縛られており、彼の意に染まないことでもルークが命じれば聞く義務があった。
 そのうえ──これも単なる直感にすぎないのだが、ガイにはどこか、探られているような気配を感じていた。ルークの一挙手一投足、なにか失態はないかと……ガイには厳格な合格基準があり、ルークがそれを満たせなかった場合、彼がどのような行動に出るのかわからないところがあるのだ。それゆえにルークは最後の最後まではガイに気を許せなかった。

 アッシュには出稽古の報酬が支払われていない。ラムダスを通じてファブレ家から申し出はあったらしいが、稽古をさせてもらっているのはこちらも同じゆえ、とヴァンがアッシュへの支払いを断ったらしい。それなのに、夜には危険を冒して屋敷に忍び込み、何の利益にもならぬというのに熱心に勉強まで見てくれたのだ。
 アッシュの前では、ルークのつまらない見栄や意地もつい形を潜めがちで、いつの間にか彼を安堵させたり感心させたくて──褒められたくて、必死になってしまったものだ。

 アッシュはそのままのおれを丸ごと受け入れてくれる。

 根拠もない、それは絶対の確信だった。
 それゆえに、アッシュとガイが対立すると、ルークはなんとなくガイを庇いがちになる。ガイの意見を認めているからではなく、ガイのほうにより気を遣ってしまうのだ。
 ガイはそのことに機嫌を良くして少しずつアッシュへの態度が軟化してきたけれども、あれこれと作業しているアッシュの傍に何かと寄ってしまうルークの態度を見てアッシュもなにか悟っていたのか、そのことでアッシュが落胆したり機嫌を損ねている様子はついぞ見られなかった。

 ガイとアッシュ、両者の間でルークを巡っての小さな意見の対立は絶えず、板挟みになりながらの旅であったが、カイツールまでの旅路はルークにとってそれなりに楽しいものだった。知らないことを聞くのに、アッシュには「どう思われるか」を気にする必要がなかったし、魔物も殺さずに済んだ。──というか剣を取らせてもらえなかったのだが、そのことはルークの心に二人にだけ辛いことをさせているという罪悪感を沈殿させはしたが、同時に命の重みを背負わなくていいと心を軽くもした。ガイは外というものがいかに危険なのか、己で己の身を守るということがいかに重要なのかをくどくどと言って聞かせたが、アッシュはルークが剣を抜くときは、護衛が無能で役に立たないときのみだと譲らない。そしてアッシュはガイ以上に自分が優秀な護衛なのだとガイとルークに見せつけた。
 アッシュとは何年も剣を合わせてきたけれど、安全な位置から彼の剣筋を見ることは、直接剣を交わすのとは違う、良い見取り稽古にもなったと思う。やはりヴァンの一番弟子の座はアッシュのものだと素直に思える、凄まじい技量だった。悔しいが、ルークはまだまだ加減されていたらしい。
 一説によると、人一人を斬ると免許皆伝の腕と同等なのだそうだ。それを思えば、いつまでもルークがアッシュに追いつけなくとも仕方がないのかもしれない。もっとも、ルークはタタル渓谷に飛ばされて以来、しょせん自分の剣は心身を鍛えるためのもので、殺傷のためのものではないのだと思い知らされていた。

「ルーク様、少しお疲れになりましたか?」

 物思いにふけっていたルークは、穏やかな掠れ声にふと意識を引き戻された。
 ルーク疲れたか、などと使用人のガイが気遣ってくることなどなかったが、アッシュは頻繁に声をかけて来る。あまりに回数が多いので、最初は煩わしかったものだが、最近では慣れて来た。どう虚勢を張っても疲れているのは確かで、疲れていると心も弱ってくるからかも知れない。いずれは何時間も歩き、毎食携帯用の味気ない保存食を齧り、地面に直接横になることにも慣れてくるが、すぐには無理だとアッシュは言う。アッシュも元は貴族の出、今のような生活に慣れるまで大変だったからこその気遣いかと思えば、虚勢を張る気も失われ、ルークは素直に頷いた。
「少しな。けど休むほどじゃねーよ。野営地の当てがあんなら、着いてからゆっくりしたい」
「はい。ではもう少しだけ頑張って下さい。地図で確認したところですと、あと三時間程度で目的地に着くと思います。辛く思われたらペースを落としますのでおっしゃってください」
 疲れていると素直に認めたせいか、野営地に着いてからゆっくりしたいという希望もすんなり理解してくれたらしい。アッシュはそれでも休ませるとぐずることなく、機嫌良く頷いた。

 野営地に着くと、アッシュは率先して食事の準備を始める。ルークはガイと手分けして水を汲みに行ったり、交替で水浴びし、簡単に汚れ物を洗い、干しておいたりする。水浴びが終わると鍋の面倒を交替し、アッシュを水浴びに行かせるのだ。

「あいつ、なんだか少し怪しくないか?」
「アッシュ? なにがだ?」
 タルタロスから持ち出した干し肉でスープを取って、中に途中の集落で手に入れた芋や僅かな葉物を煮込んだスープの味見をしながらルークが問うと、ガイはちらりと川の方向を見遣り、アッシュの姿が完全に消えたのを確認してから口を開いた。
「あいつのお前を見る目、少しおかしいぞ」
「……お前、仮面の下が見えるのか?」
「そういうことを言ってるんじゃない。ルーク、仮面なんかなくたって、あいつがいつもお前を見てることくらいわかるだろ」
 ルークは内心でため息を付きながらハーブ入りの塩をぱらりと足した。ティアとエンゲーブで買い足した、農家自家製のものだ。味もそっけもない干し肉のスープが少しマシになるので重宝している。
「アッシュは責任感が強いからな。特に今はヴァン師匠からおれを護るように言われてるみたいだし……」
「そういうのと違うだろ! お前、もう少し危機感を持てよ!」
 ぴくりとスープをかき混ぜる手を止めて、ルークはガイを振り仰いだ。目蓋の奥が──脳が、じわりと重く、熱くなる感覚が起こる。
「……なにが言いたいんだよ」
「あいつのお前に対する態度は公爵家の子息に対するものじゃない。あいつ、俺の目がなけりゃ今にもお前の脚を舐めそうじゃないか!」
「気色わりいこと言ってんな、ガイ!」
 ぞわりと全身が総毛立つ。同時にガイに対する怒りで目が眩んだ。公爵家の子息に対する態度ではないのはガイも同じだ。だがそれをルークが咎めたことはない。使用人ではなく友だちだと思っていたいからだ。
 なのにそれを笠に着て、よりにもよってアッシュを、昔ルークを誘拐し弄んだのであろう物共と同じように語るとは。
 そもそも何度も真夜中に忍んで来たアッシュだ。ガイが示唆するような獣欲が彼にあったなら、ルークなどとっくに餌食になっていておかしくない。
「あいつはそんなやつじゃない。少しでもおれが屋敷にいるのと同じくらい快適な生活ができるようにと心を砕いてくれてるだけだ。──お前と違って使用人でもねーのにな!」
「……!」
「下らない邪推でアッシュを貶めるのはおれが許さない。アッシュをあんな誘拐犯と同じように言うのは、ガイ、例えお前でも……!」
 強烈な皮肉を投げつけ、ルークはスープを混ぜていた木製のレードルを鍋に叩き付けて言葉を失ったガイの顔を一瞥もせず立ち上がった。
「おい、ルーク!」
 焦ったようなガイの声が追ってきたが、腹立たしさに応える気にもなれず、足取りも荒く森に分け入る。

 憤りのままにしばらくずかずかと歩いていたが、このまま行くと川に出ると気付き、途中で脚を止めた。今はアッシュが水を浴びているはずだ。
 アッシュは……水を浴びるときには仮面を外すだろうか?
 今行けば顔が見られるかもしれないと思ったけれど、そんな思いつきの行動でアッシュをどれだけ傷つけるだろうと思えば、それ以上動くことは出来なかった。
 しばらく苛々と爪を噛み、やがてため息を付いて踵を返した。

 ガイを友だちだと言いながら面倒を見ないと憤るのはおかしい。アッシュに対する言い草を許すわけにはいかないが、やはり言い過ぎだろう。謝らねばなるまい……。


ミュウがいません。前話の時点で気付いていたんですが……。でもいるはず。いるんです、一緒に。書かないけど。(15.10.15)