【8】
……おれだって醜い。
いや、穢れてるって言うべきか……?
──ルーク自身の、一般的にとても整っていると言われる顔が、幼少期に下劣な欲望を誘ったのではと考えられている。アッシュはまるで宝玉を眺めるような視線をルークに向けるけれども、玉どころか芯から濁っているのかもしれないのだ。そう思うからこそ、ルークは容貌の美醜にそれほど敏感になれない。
「世界は広いんだ、顔なんか気にしねえ女もいるかも知れねえだろ」
「そうでしょうか……」
どちらでも良い、と言うよりはどこか不満そうにも聞こえる掠れ声に、ルークは肩を竦めた。
ルークはアッシュの元の顔など知らないし、それが今どのような状態になっているのかも知らないが、仮面で隠すくらいなのだし、首筋に覗く赤黒い皮膚を見るに、かなり惨く焼け爛れているのだろう。
実際にその素顔を見てしまったら、どう感じるだろうとルークは漠然と考えた。アッシュの人となりを知っている今、気にならないようにも思うが、火傷の状態によっては思わず嫌悪が顔に出てしまうようなことがあるかもしれない。どのように感じるかわからないから、好奇心はあったけれども「仮面を取って顔を見せて欲しい」などと簡単には強請れなかった。例えその願いをどのように思ったとしても、アッシュが諾々と従うだろうと思うからこそなおさらだ。
要するに、ルーク自身はアッシュの素顔など見ても見なくてもどちらでも良い。さして重要視していないということだ。同様に、アッシュがその誠実で優しいところを見せれば、顔など気にしない女性もいるのではないだろうか? 将来のことを考えれば、今現在の顔ではなく、元の顔を気にする者はいるかも知れないが、性格だけではなく、男の価値は仕事や収入であると考える女性も少なくはないはずだ。
醜いよりは美しい方が良いに決まっている。だが少なくともルークが女ならば、アッシュの顔がどのようなものであろうと、その能力よりも重要なものではないと思うだろう。
「とにかく、ティアは師匠の妹なんだ。悪い奴じゃねえし、兄妹喧嘩してたって親切にしとくほうが師匠の心証もいいだろ?」
「……あの者がお気に召したのですか……?」
低く探るような嗄れ声に、どきりと心臓が跳ねた。
それはどのような意味の「お気に召す」だろうか?
友だち、旅の仲間としては、確かにルークはティアの存在を心強く思っている。だがそれだけだ。そもそもナタリア王女という婚約者がある限り、他の女性は対象にすらならない相手だったし、ルークは奥手なのか、淡い初恋すらまだだった。
「お気に召す、召さないって話じゃねえよ、師匠の唯一の家族だろって言ってんだよ!」
「……」
ルークの語気にアッシュは口ごもったが、どこか納得いかぬげな、不満そうな雰囲気はひしひしと伝わって来て、ルークはがりがりと頭を掻き回しながら嘆息した。「──お前さ、もしかして妬いてんの?」
「そ……っ、そういうわけでは……!」
ルークの問いかけにアッシュはひどく狼狽え、がたがたと茶器を鳴らしながら後ずさった。苦笑するかしないほど図星を突いてしまったらしい。
ティアは頼もしい旅の伴だったが、まだ信頼はできない。そう言う意味でルークの友だちと言えるのは未だアッシュだけだ。そう言ってやればアッシュも落ち着くのだろうが、そんな恥ずかしいことをなぜわざわざ口にしてやらねばならないのだ。
「とにかくさ、お前はおれ以外の人間の心証も少しは考慮するようにしろ。ティアに手出しは無用。いいな?」
──ジェイドはどうでもいいけどさ。
軽い気持ちで口にしても、アッシュが冗談で済ませない可能性がある。
下唇までせりあがった言葉をぐっと飲み込み、じゃあなと背中越しにひらひらと手を振って、ルークは隣室へ向かった。休めというのだから休ませてもらおう。このところまともな寝台で眠っていないのだから、寝不足には違いない。
背中に、じりじりと灼け付くような視線がまとわりついているのを感じる。
そこそこ立派な寝台のある隣室の扉を閉めその視線が遮られると、ルークはほっと息をついて、薄らと汗ばんだ額を無造作に拭った。
ほんの少し仮眠を取るだけのつもりだったのに、壁にかけられた時計を確認すると随分眠ってしまったようだ。
自分で意識してはいなかったがやはり疲れていたのだろう、コートも脱がずにベッドに倒れ込んだのに、誰が世話してくれたのかシャツ一枚にくつろがせてあったのも深く熟睡してしまった一因かもしれない。
部屋の中に、微かに甘いスパイスのような香りが漂っていることに気付き周囲を見回すと、ナイトテーブルの上に畳まれたコートと着替え、それから小さな香炉が置いてあった。どちらも休む前にはなかったものだ。
香炉の蓋を開けると、枯れ枝のようなものが燃えきらずに一部残っていて、鎮静や睡眠効果のあるような香を誰かが焚いたのだとわかった。コートやブーツを脱がされても気付かぬほど深く眠ってしまったのは、疲れだけではなかったのか。あまり気分の良いものではないが、こうして痕跡を残しているということは好意でやってくれたことなのだろうとルークは小さく息を吐いた。部屋の空気が淀み、密度を増して重苦しいと感じるのは、嵌め込み窓しかない船室で香を焚いたせいなのだろうか。
寝汗で肌がべたついているのを急に不快に感じ、ブーツを履かずに直接絨毯を踏みしめ寝台を下りると、ルークは寝室についていた小さな浴室を勝手に借りることにした。用意された着替えは新しいものではない。おそらく、飛び込みの客であるルークのために、体格の変わらないアッシュが自分の着替えを貸してくれたのだろう。
狭くとも村の安宿よりも設備の良い浴室に、少しばかり複雑な気分になりながらゆっくり湯を浴びて、用意された服に着替え終わったころ、神託の盾兵が食事を運んで来た。トレーの上には数種類のチーズ、固く焼き締めたパンかビスケット様のもの、千切った干し肉の浮いたスープ? など、調理されている、と言えるほどのものはなかったが、軍艦の中ならばこんなものかも知れないとさして不審にも思わずすべてを平らげる。栄養は補給出来るのだろうが、味も大したことはことはなかった。
トレーを下げに来た兵がルークの好みを聞き紅茶を淹れて退室すると、あとはすることもない。屋敷がどうなっているのか、ティアはまともに扱ってもらえているのか、などと取り留めなく考えていると、伺うように控えめなノックをしてアッシュが訪ねてきた。
「最低限の兵しかおりませんので、あんなものしかお出し出来ず申し訳ありません」
「いや十分だろ。お前らは仕事もあんだから、おれの世話に兵なんか割くなよな」
ちゃっかり好みを述べた紅茶をご馳走になりながらも、ルークは『こういう世話』という含みを持たせてカップをかざしてみせた。
「……恐縮です」
アッシュはやや気を落としたように言い、この艦は適当なところで乗り捨てるということ、ルークをカイツールまで送り届けること、自分が護衛を務めることを述べた。
「……なに言ってんだよ? お前、今仕事中なんだろ?」
「グランツ謡将には許可をいただきました」
「師匠に? 師匠は無事なのか? ティアの仕業とは無関係なんだし、捕まったりしてないよな?」
「完全に疑いは晴れていないそうですが、とりあえずはご無事です。謡将もルーク様の身を案じられ、急ぎカイツールに向かっておいでです」
一緒に剣を教わっているときはアッシュもヴァンを師匠と呼んでいるが、仕事中は謡将と呼ぶのかと変なところに感心しながらルークはため息をついた。
「師匠も忙しい人なのに……。皆に世話かけて、悪いな」
「このような状況になったのは、そもそもルーク様のせいではありません……っ!」
ルークらしくもなく素直な気分でそう言うと、語気も荒く即座に否定された。勢いづいていたためか、語尾が掠れ、アッシュは小さく咳き込んでしまう。
「お、おい! 大丈夫かよ?!」
「?!」
だが、背中を摩ろうと反射的に手を伸ばすと、アッシュはとたん、怯えたように身を捻って後ずさった。
「──おい」
さすがにムッとすると、ルークの機嫌の降下を悟ったのか、アッシュはぶるぶると首を振りながら身を縮め、さらに後退する。
いつも鬱陶しいほどルークに視線を絡ませているアッシュのこと、仮面で表情は見えずとも、部屋に入って来た時からルークから視線を逸らし気味であることは気付いていた。ルークがあまりにもみっともないところを見せてしまったから、ルークに人を殺めさせてしまったことをくよくよ考えているのかもしれないと思っていたが、今の態度を見る限り原因は他にありそうだ。
「おれは黴菌かなんかかよ」
ソファに深くもたれてそう吐き捨てると、アッシュは弾かれたように両膝をつき、ルークの脚元に這いつくばった。
「まさかっ決してそんな……! ば、黴菌は俺の方です……!!」耳障りの悪い悲鳴を上げ、さらに咳き込む。「お、俺は……俺は、汚い! 俺なんかに触ったらルーク様の御手を穢してしまいま……!」
「ちょ……っ」
興奮のあまり激しく咳き込み、言葉も掠れて聞き取り辛かったが、ルークは目を見開き、ソファから半分腰を浮かせて言葉も無くアッシュを見下ろした。
近くに寄られると、濃い血臭がつんと鼻を突く。着ているものが黒いため例え返り血を浴びていたとしてもわかり辛いが、一人二人を切ったところでこれほどの臭いがつくとは考えられない。
「……なあ、この艦のマルクト兵はどうなった?」
「──鏖殺の命に従いました」
掠れて震えている返答にルークは言葉を失った。
……師匠が……?
稽古は厳しいが、いつも穏やかに微笑んでいるヴァンにも、そのように苛烈で冷酷な命令を下す一面があったのか。
むろん不快なわけではない。良く知っていると思っていた人物にも知らぬ面があり、このようなことにならなければ知らぬまま終わっていたかも知れないのだということが、ただ不思議だった。
この艦に乗せられてから、それほど経ってはいないが、それでもどれだけ多くのマルクト兵が乗っていたか知っている。一体どれほどの人数で攻めて来たのか知らないが、マルクト兵のすべてを亡き者にするのに、アッシュがどれだけの役割を担ったのか、問わずとも察せられた。烹炊所があるはずなのにルークに戦闘糧食に毛の生えたようなものが出されたのも、烹炊員がいなかったからなのだろう。もしもそういった役割の兵がいれば、アッシュならルークにもっとまともな食べ物を提供したに違いなかった。
アッシュに気付かれぬよう一度大きく深呼吸して、ルークはソファに座り直した。
「……兵は命令には従わなきゃならねえんだろ。汚れる汚れないって問題じゃねえじゃん」こんな言葉でアッシュの心が安んじることがあるだろうかと、言葉の上手くない自分を呪いたい気分でルークは言った。「おれはそっちの事情に口を出す気もねえし。そんなふうにびくびくされると逆に気分悪いもんだ。いいから立て」
アッシュは床に付いた拳を白くなるほど強く握り締め、数度首を振った。
なにを否定したかったのかはわからないが、ルークの命を無視する気もないようで、ややあってゆるゆると立ち上がる。だが、今度はあからさまに顔を逸らし、俯いていた。
この艦で思いがけず出逢ったとき、アッシュは震えるルークを支えるために両手を取りもした。きっとそこに至るまでの道筋でも多かれ少なかれ人を切って来たと思われるのに、それが急に汚れるだの穢れるだの言うには、ルークが眠っていた数時間の間に返り血を浴びる以外の何かがあったようにも思えるのだが、この様子では命じても素直に話すかどうかはわからない。
友だちになりたいのに──ルークは友だちだと、そう思いたいのに、これでは雇われているガイよりもなお遠い。アッシュとの距離は、なんだか時間が経つにつれ開くばかりのようだ。
ひどく憔悴した様子のアッシュを見つめ、ルークは再び深くため息をついた。
「ティアはどうしてる? もちろん無事だよな?」
あれだけ言いおいたのだから。
そういう気持ちを言外に込めて問うと、俯き加減のアッシュの全身から、ゆらりと怒りの気配が立ち上った。
ルークが数時間仮眠を取っていた間に、ジェイドとティアはタルタロスから脱走してのけたらしい。アッシュの態度から、ルークが手厚く保護されているだろうことを二人は悟っているのだろうし、置いて行かれたことについてルークはなんとも思わないどころか逃げてくれたことにほっとしさえしたが、押さえていてもなお、アッシュの怒りで周囲の空気がぴりぴりしているような気がした。殺すと言っていたくらいなのだから、アッシュにとってはいてもいなくても良い存在のはずだったが、護るべき相手を放って逃げ出したことが相当お気に召さないらしい。
「放っといていいんじゃねーの」
ルークは大欠伸しながら両手をうんと伸ばして伸びをし、こきこきと首を鳴らした。
ティアは屋敷までルークを送り届けると言って聞かなかったが、そんなことをすればすぐに捕まってしまう。もしかしたらキムラスカ領に入った時点で捕縛されるかもしれない。ルークの口添えで軽い罰で済めば良いが、貴族を──それも準王族を誘拐したことになるのだ、もしかしたら死罪、ということも有り得るだろう。しばらく一緒に旅をして、ルークはティアには本当に誘拐の意思などなかったこと、存外面倒見が良く、融通がきかぬほど生真面目で、何より心根が優しいことを知った。何より、ティアのおかげで初めて触れた世界の旅は、毎日が新鮮な刺激に満ちて苦労すら楽しい。死んで欲しくなどない。
そもそもアッシュとティアを近くに置いておいたら、ティアの身を案じてルークの気が休まらない。新たに保護者を得た今、逃げ出してくれた方がルークの精神衛生上、よほど良いのだった。