【03】

                                                                                                                        

 ルークは十歳のころ、マルクトに誘拐されたのだそうだ。
 犯人は、未だ見つかっていない。正体も不明のままだ。にも関わらず『マルクトに誘拐された』というのは、キムラスカとマルクトが長く小競り合いを繰り返している敵国同士だと言うこと、発見された場所がマルクトとの国境に近かったということから捏造された、便宜上の発表だったのだと思う。ルークは使用人たちがひっそりと交わす会話の数々を繋げてそうではないかと考えたのだが、マルクトに正式に抗議した事実はないようなので、あながち外れてもいないだろう。

 クリムゾン始め白光騎士団の面々、屋敷の使用人は、卑劣な賊に出し抜かれた屈辱に激怒してはいたものの、当初はルークの身にそれほど差し迫った危険はないと考えていたらしい。ルークはキムラスカ有数の貴族、ファブレ公爵家の長子であり、その母の血統から第三位という高い王位継承権を持っている。だが現時点では十歳の子どもにすぎず、害しても国の趨勢に何の影響も与えない。そのため、ルークは取引のための人質と考えられ、犯人がどのような政治的立場の者であるにしろ、速やかにファブレ家、あるいはキムラスカに、何らかの要求があるものと思われていたのだ。
 しかし思惑は完全に外れ、犯人は如何なる接触も図ってこなかった。交渉時の隙を突いてルークを救出するために練られたさまざまな計画は断たれ、誘拐の目的も、人数も、ルークの居場所も、何も分からぬまま半月が経ったころには、誘拐の目的がルークそのものであったと考えざるを得なかったようだ。ルークが発見された場所がファブレ家所有のコーラル城であったという事実が、その信憑性を増した。犯人は身近な者、すなわちルークを良く知る者の犯行ではないかと誰もが思ったのだ。
 ルークは屋敷を訪れる大勢の客から稀に見る美しい少年と言われるが──ルークの立場を思えば大いに世辞である可能性も否めない──そのせいである種の性癖を持った者の劣情を煽ったのではないかと考える者は少なくないようだった。ファブレ公爵家と国王の手前、皆おおっぴらには語っていないが、同情と嫌悪と好奇心をたっぷりとまぶして密やかに囁かれ、広まり、浸透した。だがどれだけ声を顰めて噂しても、ちょろちょろと屋敷中駆け回っている子どもの耳には入ってしまうものなのだ。

 神託の盾騎士団の次期主席総長と目される師、ヴァン・グランツの手によりルークが無事救出されたときには、誰もが彼の生存を諦めて一月近くが経っていたという。
 だが、国王、父を始め、屋敷の者たちには、世間的に『穢された子』の帰還を手放しで喜べない複雑な感情があったようだった。

「だそうだ」「らしい」とまるで人ごとのようなのは、ルークがそのときの──その前までの記憶をすべて失っているからだ。犯人に繋がる情報を、ルークは確かに持っているはずなのに。いつ、誰に、どのように攫われたのかも、どこで、何をしていたのかも、何も憶えていない。それどころか、ルークは自分の名前も言葉も失い、立つこと、歩くことさえ出来なくなっていたのだ。
 犯人、あるいは犯人たちは追っ手に気付いて逃げたらしく、古城はもぬけの空になっており、朽ちたベッドの上、壊れた自動人形のようにルークは捨てられていたのだ。
 目的がルークそのものであったという推測は、きっと当たっているのだろう。一体何をどうやったものかはわからないにしても、身体を弄り回されたのは明らかだと思われるからだ。噂話によると性的な暴行は受けていないとの診断だったらしいが、事件を知る多くの者たちはファブレ家が真相を隠蔽しているのだと信じて疑っていない。多くの者は、幼いルークが賊によって陵辱されたに違いないと思っていたし、ルークもまた「多分そうなんだろう」と思っていた。事実がどうであったのか、知る者は自分と犯人だけだ。だがルークにはその記憶がなかった。ならば、口さがない多くのものたちの言うよう、ショックで己の記憶を封じたという噂のほうが信憑性があるように思えたのだ。

 誰もが下世話な好奇心もしくは失望を隠しきれず、腫れ物に触るようにルークに対する。彼らのその態度は、ルークを苛つかせ、臆病にさせ、卑屈にさせた。何より、彼らの中にルークを弄んだ者が何食わぬ顔で紛れ込んでいるのかも知れないと思えば、ルークは屋敷中の大人が信用しきれず、恐ろしかった。ラムダスに睨まれながらも気の置けない態度で付き合ってくれるガイ、それにヴァン。剣の師であり今やルークの命の恩人でもあるヴァンがいなければ、あれから三年が経った今もルークはたった一人、孤独に苛まれて震えていなければならなかっただろう。

『アッシュ』という、敬愛する師匠が一番弟子と自慢して憚らない少年に初めて引き合わされたとき、ルークの胸にあったのは強い対抗意識だった。彼が自分よりも早く弟子入りしたらしいこと、自分が師匠を追って神託の盾に入ることなど出来ない身分であることなど委細承知の上ではあったが、師の関心の半分以上を奪っている彼に嫉妬の気持ちを抱かずにいるのは難しく、ルークは彼との対面が憂鬱でならなかった。
 ルークは気迫で負けてなるものかと身構えてアッシュを迎えたのだが、実際にその少年に引き合わされた時には、衝撃のあまり一目でその敵愾心がどこかへ吹き飛んで行ってしまった。
「前にも話したな、ルーク。これがアッシュ、お前の兄弟子になる。私が来られない時に代わりに寄越すこともあるだろう。互いに切磋琢磨するようにな」

 ルークの前に立った少年の、明らかに緊張し、怯えている様子よりも、まずその顔を全面覆った不気味な意匠の仮面が真っ先に目に入った。磁器製と思われるのっぺりと白い仮面は、鼻と唇の形が作られているが、目は亀裂のような細い穴が開いているだけだ。
 確かにかねてから彼は顔面に酷い火傷を負い、他者に傷跡を晒さぬよう仮面をかぶっているという話は聞いていた。ルークはアッシュに嫉妬していたから、男が火傷ごときで顔を隠すなんてと嘲笑う気持ちでいたのだ。だが、その傷跡が自分が思っていたよりずっと深刻そうだと気付いたのは、詰襟のお陰で目立ちはしないが、仮面の下から襟の奥まで、変色した皮膚が首筋を這っているのに気付いたからだった。
 癒えてはいるようだが、その色はまだ毒々しい赤紫。火傷を負って何年も経っているようには見えない。ルークがその首筋を凝視していることに気付かず、アッシュはルークの差し出した手を前に何度も己の手を上着の裾で拭って、ようやく指先を握った──一瞬だけだ──のだが、その手は緊張に冷えきって、可哀想になるほど震えていたのである。
「……そんなに緊張すんなよ。取って食いやしねーし」
 ルークはぶっきらぼうに声をかけた──つもりだったが、その声には意図せず宥めるような気遣いが含まれていた。そのことに舌打ちしてぷいとアッシュから顔を逸らすと、様子を窺っていたらしいヴァンがほっとしたように微笑んで頷いた。
「私はファブレ公爵と話があるゆえ少々席を外すが、少し二人で話でもしていなさい。まだ私のいないところでは剣を合わせぬように」
 はい、という返事は二人同時だった。照れくさいのか腹立たしいのかわからない気分で、ルークはアッシュから目を逸らしたまま立ち去るヴァンの背を見送った。その横顔に、アッシュの視線をひしひしと感じる。
「なんだよ?」
「あ──す、すみま、せん」
 振り向き様にぎろりと睨むと、アッシュはルークを凝視していた自覚がなかったのかあからさまにびくりと身体を震わせた。彼の顔を舐めた炎は喉まで焼いたのだろうか、十三という年齢にしてはその声は低く、酷く嗄れていた。
「べ、別に怒ってるわけじゃねえよ。だけど、あんまじろじろ見んなよな。つーか、敬語やめろ。同い年だって師匠から聞いてるぞ」
「そういう訳には──す、すみません」
 兎のようにびくついておどおどしながらも、アッシュがルークに逆らってみせたことに驚いて、ルークは俄にこの少年に対する興味が沸いた。横目でねめつけていた視線をまっすぐに向ける。
「なんでだよ?」
「……なんでって」理由を聞かれると思っていなかったのか、アッシュは少しだけ仮面に籠った声に驚きを表した。「あなたは、人ではないのかと思うほど綺麗だから……」

 ──意味がわからない。

 当然身分が違うという返答が来るものと思うだろう。ルークにはそれに対する答えの用意もあったのだが、あまりに予想外の返答に、言い返すための意気込みがわずかに開いた唇の隙間から抜けて行った。
 反応に困るという経験をしたのは、初めてだった。
 あっけにとられて、ルークは目の前の少年を見つめた。真剣に言っているのか、それとも冗談で言ったのか、仮面の下の表情はまるで読めない。
「……どういう意味なのか、全然わかんねーぞ」

 癇に障るほどルークを見つめていた癖に、ルークからの視線には耐えきれないというように、アッシュはしおしおと俯いた。
「人より高次の御方に、対等の口を聞く者がおりましょうか……」

 ……はあ? 人よりコウジってなんのことだ?

「……ヴァン師匠の弟子ってところじゃ対等なんだしさ、」悩んだ結果、ルークはその発言を聞かなかったことにした。「お前、一応兄弟子だろ。身分とか、その、コウジ? とか気になるのかも知れねーけど、おれもそこのけじめはきちんと付けたいんだよな。ヴァン師匠に弁えない奴って思われんのもやだし」
 敵愾心が薄れてみれば、ルークにはまだいない『対等の友人』というものが出来るかも知れないという淡い希望が沸いた。ガイのこともルークは友人だと思っているが、ガイの方はやはり年上だからか、誘拐以降赤ん坊のようになってしまったルークを育て上げたという自負からか、どうも自分を保護者のように思っている節がある。
「ルーク様が、お、お困りになりますか……?」
「困る!」

 これまでのアッシュの反応からしてみれば無茶な話かも知れないと承知の上だったが、ルークの予想に反してアッシュには意外に臨機応変なところもあったらしい。俯いたままかすかに小首を傾げてルークの言うことを咀嚼するよう考え込んだあと、仮面の顔をまっすぐに上げて頷いた。
「ルーク様がそうお望みならば……稽古中だけはそのように致しましょう」
「あ……ああ」
 言ってはみたものの、折り合いをつけてくれるなどと思っていなかったルークは、驚きを隠せなかった。

 人がルークに敬語を使うのは、ルークを敬っているからではなくルークの身分が高いからだ。普通ならそれで納得出来るのだろうが、ルークは人が彼のことを「誘拐された子」「もしかしたら、人に言えないようなことをされていた子」という色眼鏡で見ていることを知っている。
 身分差というものは、誘拐以降ずっと屋敷に軟禁されているルークが考えているより、冒しがたいものなのだろうに、条件付きとは言えどルークの希望を酌んで譲ってくれたアッシュの気持ちが嬉しかった。だがそれを素直に伝えるのは恥ずかしく、ルークは噴水の縁にどかりと腰掛けて、ヴァンの消えた母屋の方角を眺めるふりをしてそっぽを向いた。
「……師匠、遅えな」
「はい」
 半ば独り言のような言葉にも律儀に返事を返してくる。頬に、強い視線を感じた。またおれの顔を見ている、とルークは小さく舌打ちをしたが、アッシュが酷い火傷で元の顔を失った少年だと思えば、少しうざいという本音は口に出す気になれなかった。
「お前も座れば」
「……はい」
 顎をしゃくって隣を示せば、アッシュはほんの一瞬だけ躊躇したものの、きっちり人二人分の間隔を開けたところにおとなしく腰を下ろした。
 その様子を目で追っていたルークは、今度は自分の番とばかりにこっそりとアッシュを観察した。


1話分だけ書くつもりが、気付いたら1.75話分書けてました。と言うわけで、多分次の更新もこれだと思います。その次は……Voiceに戻りたい。(2,14.07.29)