【01】
《我の見た未来がわずかでも覆されるとは……。驚嘆に値する》
第七音素集合体ローレライはそう言って、上から落ちて来たアッシュを抱きとめ、はらはらと乖離を続けるルークの前に姿を現した。
それは、揺れる炎のように輪郭を保たない音素の固まりに過ぎなかったが、よくよく見ると、ひとのかたちのように見えたかもしれない。
《初めまして、って言うべきなのかな……?》
《直接会うのは初めてだな》
顔が見えたわけではないが、ローレライが笑んだ気配がした。
《そなたらには、本当に世話をかけた。今の我にはたいした力が残されていないが、せめてもの礼がしたい。『聖なる焔の光』、なにを望む》
《望み……? そんなの一つしかない……まだ、みんなと生きていきたい……! おれもアッシュも……!》
生きたい。みんなのところに帰りたい。その他に望みなどあるはずがなかった。
しかしローレライは何か推し量るようにしばし沈黙したあと、残酷な言葉をルークに告げた。
《──すまない。その望みは、今我に残された力では叶えることが出来ぬようだ……。だが、どちらか一人だけなら》
《どっちか、一人だけ……?》
ルークは腕の中の、血の気の失せた冷たい顔を見下ろして《よかった……。アッシュは帰れるんだな……》とつぶやいて目を閉じた。
一人だけ戻ることが出来るのなら、それはアッシュでなくてはならない。考えるまでもなかった。二人とも約束を守れないと思っていたのに、これならば一勝一敗といえる。悪くはない結果だ。
《……帰るのは、『聖なる焔の光』でよいのか》
《ああ》
《聞き届けよう》
《……ありがとう、ローレライ……》
アッシュから、ルークはたくさんのものを借り、奪い、失わせた。それなのにルークは、命すらアッシュからもらったものでありながら──いや、レプリカ情報を抜いたことによる大爆発のことを思えば、それもまた奪ったと言えるものなのかも知れないが──なんだかんだと世話ばかりかけていた。しばしば仲間たちを憤らせたきつい言葉やそっけない態度も、アッシュ本人にその意図がなかったにせよ、ルークになにかを気付かせてくれたことも多かった。
性格は荒く、激しかったが、照れ屋で、ちょっと天然で。本来はとても優しい人だったのだろう──。
最後まで打ち解けることのない関係だった。
何一つ返すことが出来ないままだった。
《借りていた名前、両親、友人、婚約者……お前の居場所、命、全部返すよ……。今度こそ幸せに、アッシュ……》
その時、アッシュの指先がぴくりと動いたように見えた。ルークは息を飲んでアッシュの顔を見つめなおした。気のせいかもしれないが、ほんの少し顔に血の気が差してきたような気がする。
《アッシュ……。アッシュ、起きろよ、目、開けてくれよアッシュ、アッシュ……っ!!》
どこか、身体のうんと深いところから込み上げる激情に耐えかねたように、目から涙が溢れ出した。それは、頬を伝い落ちながらも、次々に光に変わって消えていく。
どこか満足したようにうっすらと穏やかな微笑みを浮かべている死に顔が、妙に腹立たしかった。悔しげに顔を歪めていられるより、もっと救われない気がする。
十八年に満たない、あまりにも短い人生。その中に彼を満たすものがあったとしても、それはきっと、哀しいほどささやかなものでしかなかったろうに。
放心したように、その顔をじっと見つめた。来たときと同じように、激情は唐突に去った。
完全に乖離する前に、もう一度自分のものより濃い、美しいエメラルドフォレストの瞳を見せて欲しいと、最後までアッシュの顔を見つめていたが、叶うはずもなく……。最後まですれ違ってばかりだと自嘲した瞬間、ふっ……と意識が霧散していった────
「それら」は世界中に在った。
水とたゆたい、風と踊り、雲と佇む。
時に大地と仰臥し、鳥と歌った。光と戯れ、雨を浴びて森を、砂漠を、虹を渡る。
時には人と人との営みの中を漂う。喜びを、悲しみを、怒りを、苦しみを、幸せを、あらゆる人の感情の中を、ただ、通り過ぎた。
その中に、もしかしたら、「それら」がかつて見知っていた者もいたかも知れないが、「それら」はただその側を優しく通り過ぎるだけ。
「それら」に意思はなく、記憶も感情もない。ただ、そこに『存在する』だけなのだ。
だからある時突然に、空気の奔流に飲まれるように「それら」が一点に集められ、収束し始めたときも逆らわなかった。
いつまで続いたのか、永遠のようでもあり、一瞬のことだったようでもある時間が過ぎ去ったのち、同化していた広い世界から、「それら」は急に引き剥がされ、何か狭いところにぎゅうぎゅうと詰め込まれようとしていた。
「それら」はそのことを『不快』だと感じた。
不快感を覚えると、自分が無理矢理小さな肉の檻に押し込められているのに気づいた。すると『怒り』がこみ上げた。
「それら」は檻を逃れようと身をよじった。
身……?
「身」が。
躯、がある。
気付いた瞬間に、「それら」は意識を取り戻した。