The day of the dawn 05

「……悪かった。まだ七つのお前にゃ、刺激が強かったな」
 本当に反省しているのかどうか、笑い含みの声が耳元で聞こえ、ルークはアッシュの胸に頭を押し付けながら更に体を縮込めた。
「……十歳だろ」
「サバを読むなよ。お前、『さっき』まで七つだったんだろ」

 言い返すことが出来ず、悔しさに唇を噛み締めて黙り込んでしまうと、押し付けた顔の下で、アッシュの鼓動を強く感じた。それはルークのものとはほんのちょっとだけズレたリズムを刻んでいたが、服の下で皮膚が盛り上がっているのではと不安になるほどの鼓動の大きさも早さも変わりなく、落ち着いているように見えてもルークと同じくらい、緊張したり羞恥を感じたりしているのだと分かった。
(こいつ、自分の顔が俺に見られないように、こうしたんだ。……コソクなやつ)
 それに気付くと、笑い出したい衝動が込み上げてきて、痛みを感じるほど暴走していた心臓の鼓動が徐々に落ち着きを取り戻して来る。
 微かにズレていた二つの鼓動がゆっくり、ゆっくりと重なっていく。

 と、ふいにルークは先ほど交わされた会話を思い出して呻いた。急にルークの鼓動が跳ね上がったので、同じように重なり合う鼓動の心地よさを感じていたらしいアッシュが怪訝そうな声を上げた。

「……おれに服着せてくれたのって、やっぱアッシュなんだよな……?」
「……今更だな」
「…………えっと、」
「ああ」狼狽しているルークが何を聞きそびれているのか気付き、アッシュが頷く。「見たぜ、隅々まで」
 喉の奥で「ぎゅう」とも「ぐお」とも聞こえる奇妙な音を発し、落ち着き無く身を捩っているルークの首筋が、熟れたトマトのように赤く染まっているのを見下ろして、
「別に、何もしてねえよ」
 とアッシュが言ってやると、あからさまに体の強ばりを解きながら「別に疑ってなんかいねー」と優しい強がりを言ってくる。
「最後、ちょっとやばかったけどな」
 途端に体を固くするルークに思わず笑いが漏れた。それでからかわれていることに気付いたルークが、ふて腐れてアッシュを押しのけた。

 全裸ではないにせよ、同室で寝泊まりしていたガイやジェイドにも見られているわけだし、それにいちいち羞恥を感じていたわけでもない。しかし、その視線が「単に視界に入っただけの知人の体」といったものを超えてしまっているのなら、それはルークにいたたまれないほどの恥ずかしさを感じさせた。

「あんまり綺麗だったんでな、ちょっと目が離せなかった」
 その声は、かろうじてルークの耳に入るような小さな小さな声で、思わず見上げると、自分がすり抜けた空間を残念そうに見下ろしているアッシュの顔が目に入った。
「第七音素がお前のかたちに集まって行くのがな、第六音素の意識集合体が人のかたちを取ったらこんなか、と思うほど綺麗だった」

 アッシュがそういって、崩れたエルドラントの方角を仰いだので、ルークも同じ方角に顔を向けて、息を飲んだ。

 ゆるやかに崩壊してゆく大地から、小さな小さな光が無数にゆらめきながら立ち上っており、まるで大地自体が淡く発光しているように見えた。
 海面に近い部分で乖離してゆく第七音素の光は海面に映り、穏やかな波に合わせて形を変える。水底に沈んだ部分からも乖離しているのだろう、底の方からまるで生き物のように光が浮かび上がっていた。
 ほとんど正面に見える大きな月の光で照らされた海は、どこまでも透明なサファイアブルーに輝いている。崩れた大地の陰になって暗く沈んだ色をいている部分との音素の光の見え加減の対比が美しかった。

「……綺麗だな……」
「ああ」

 二人はしばらく無言でその幻想的な風景を眺めていた。
 こんな美しい光景を前すれば、どんな人間でもいらない虚飾や傲慢さを纏ったままでいるのは難しいとルークは思う。この前に背筋を伸ばして立つことが出来るのは、きっと丸裸の自分自身だけなのだ。

「俺たちが完全同位体で良かったと思ったのは今回が初めてだ。大爆発のことがあったから、それは呪わしいばかりのことと思っていたんだがな。そのお陰で俺だけが、お前がこの世界に戻って来たと感じ、その居場所を感じ、お前の二度目の誕生に立ち会うことが出来た。……俺だけが」

「誕……生……」

 服を着替えるように古い身体を捨て、違う身体に乗り換えてまで生にしがみつく。
 新しい体を纏って還って来た自分を、今の今までルークはそんなとても浅ましい生き物のように感じていた。そう感じながらもやはり生きていたいと見苦しく願う自分に嫌悪感すら抱いていた。
 だがアッシュの「誕生」という言葉は、香木の灰の中から何度でも蘇るという伝説の火の鳥を思い起こさせた。幼い頃、ガイが何度も読み聞かせてくれた『希望』のお話。
 ああ、そうだった。確かに自分は『灰』から生まれた……。
『聖なる焔の光』、元々はアッシュ──『灰』のものだった名前。いくら本人が拒絶したところで、彼の本質に与えられた真名はおそらく変わらないのだ。いつだってルークの目の前にかかった厚い帳を焼き払い、目の前の光を示してくれる。

「お帰り、ルーク。……それから、誕生日おめでとう」

 ろうかん翡翠の瞳を大きく見開いてしばらくアッシュを見つめていたルークの顔が、花が綻ぶようにゆっくりと歓喜の表情を浮かべて行った。
 アッシュは昨夜この光景を見たのだ。ルークと同じように、アッシュもきっとこの前ではあらゆる虚飾を纏うことが出来ないでいる。自分たちは確かに『違う』が、何かを見て綺麗だと思ったり、優しくしたいと思ったりする感情やタイミングはとても良く似ている。そのアッシュが自分を好きだと言ってくれたことを、今初めて実感した。

「あ、ありがとう、アッシュ……。おれ、すげえ嬉しい。最近はおれのこと気に掛けてくれたり優しくしてくれたから、前ほどは嫌われてねーかもって思ってたんだけど……。ガイもそういってくれたし……。なのに嫌うどころか好きになってくれて、夢でも見てるみたいだ。……ほんとにありがとう……」
 思いがけないそのあまりにまっすぐな喜びの言葉に、アッシュがちょっと苦笑した。
「少しは気持ち悪いとか、思わねえのか?」
「えっなんで。初めて会ったときだけっておれ言ったよな」
 アッシュの少し戸惑ったような問いを受けて、ルークは目をまんまるに見開いた。
「そうじゃねえ。……その前に男同士だろうとか血の繋がりだとか色々あるだろうが」
「自分のこと好きになってもらえるって、すごい嬉しい、ありがたいことだろ。そう言ってくれる人に気持ち悪いとかって、あるわけねーじゃん」
 少し呆れたように返された台詞のあまりの真っ直ぐさ、汚れのなさに、う、と怯んでいるアッシュに気付くことなく、ルークはアッシュに初めて心の底からの笑顔を見せた。

「……やっぱり同調フォンスロットは開けねえな。俺は四六時中お前の気持ちを確認しないでいる自信がねえ。──それが一番の理由ってわけじゃねえんだが」
「四六時中……っ? あ、え、それが理由なら、こっ困る、確かに!」真っ赤になって、首振り人形のように首を横に振ってから「……それに気持ちは、言葉で伝えてもらう方が嬉しい、とおれ思うし……」とルークは恥ずかしそうに付け加えた。
「おれ、戻って来られてほんとに良かった。あのまま乖離することにならなくて良かった。嫌われてないって、憎まれてないって、知らないままで死んでしまわなくて良かった。戻って来たから、アッシュに好きだって言って貰えた」

 そして眩しげに目を細めるアッシュに照れくさそうに告げたのだった。

「ただいま」