砂紋果つるところ 2

 皆が仕事をしていた部屋を出て少しすると、ワインハウスはルークが使う部屋を準備するため行ってしまい、二人はアッシュが私室として使っている二階の一番奥まった部屋に向かった。
 どうぞというアッシュの声に、いささか緊張気味のルークが恐る恐る足を踏み入れる。
 立場や元の身分を考えると、手狭としか言えないそこは、ルークの予想に反して、結構物の多い部屋だった。
 癇性の嫌いがあると思われたアッシュだったが、書棚にぎっしりの本も、なんだか読み終わった順に適当に詰め込んでいった感じで、分類などされているようではないし、机の上や棚の上にも、色々と雑多な物が無造作に置かれている。
 目に付いた、気味の悪い顔の置物をしげしげと見つめていると、気付いたアッシュが決まりの悪そうな顔で「そこら辺のはみんな土産に貰ったもんだ。断じて俺が好んで手に入れたもんじゃねえ」と唸った。
「そうなんだ」とルークは笑った。「アッシュらしいな」
「何がだ」
 壮絶に眉を寄せた顔でぎらっと睨みつけられたルークだったのだが、彼は「んー」と生返事をして興味深く部屋を見回した。
 基本的にあまり物を持たない自分と比べて、この部屋の物の多さは、そのままアッシュの情の深さを表しているようにも、ルークには思えたのだ。
「突っ立ってないで掛けてろ」
 とアッシュがいい、椅子を押して寄越したのだが、ルークは実用書も専門書も小説も雑多に突っ込まれた書棚の本の背表紙を撫でたりしている。入ってくるまではあれほど緊張した様子だったのに、今は全くの自然体でアッシュの部屋に溶け込んでいた。

 アッシュにはその光景がなぜかすんなり馴染めなくて、ルークがここにいる経緯は十分承知しているにも関わらず、「なぜこいつが俺の部屋にいるんだろう?」という現実感の無いような、不思議な違和感を感じていた。

 ルークはルークで、数日前──ルークの記憶では──死闘を繰り広げたばかりのアッシュの部屋に、なぜこれほど自分が馴染んでしまうのかとぼんやり考えていた。物はともかく、人には強く執着する質らしいアッシュの性質がよく現れた部屋は、不思議と自分を落ち着かせる。
「アッシュ」
「なんだ」
「なんだかおれ、すごい不思議だ。この部屋、ずーっと前からおれもここにいたみたいに、馴染むよ。こんなふうに思ったの、初めてだ」
「そりゃ良かったが……そうか。屋敷もお前にゃ居心地が良い場所じゃなかったんだな……」
「うーん」
 ルークは言葉を濁した。
 父上も母上も、自分をとても愛してくれる。ラムダスや数人のメイド、白光騎士もだ。
 しかし、やはりルークはあそこでは自分は偽物、一人だという孤独感が晴れないのだった。
 だが、そこはレプリカの自分が被験者ルーク、アッシュから奪い取った場所だった。そこにルークが入り込んだせいで、アッシュに辛い思いをさせたというのに、その場所を居心地が悪いとは、決して言えない気もする。

 感情を綺麗に消しているのに、口元にだけ不自然な微笑をたたえたルークを見て、アッシュはわずかに目を伏せた。
「……お前がバチカルに帰る前に、話しておかなきゃならねえことがある」
「なに?」
「昨日、俺はナタリアの本当の婚約者のことを話したが、」
「ああ……うん」
 アッシュはまだ何か逡巡している様子で、ことさらゆっくりと真正面に立って、ルークを見下ろした。痛いのを堪えるようなその顔を見て、ルークは嫌でも良くないことだと察しをつけざるを得なかった。笑みを消してアッシュを見上げる。
「同じ理由で」アッシュは手を伸ばしてルークの肩を引き寄せ、せめてもの衝撃を和らげようと全身をくるみ込むように抱きしめて言った。
「ファブレ家にも跡取りが別にいる。陛下の命令で、父上が女性を一人ベルケンドに囲っていた。年は俺より……三つか四つ、下だったか。……預言にも詠まれていたそうだ」

 ルークに、アッシュが危惧したような衝撃はこなかった。
ああ、そうだったんだと、乾いた地面に水がしみ込むよう、その事実が染みて行っただけだ。だって、自分は結局偽物で、ファブレの跡取りになどなれるわけもないのは承知の上だったから……。
それよりも真っ先に考えたのは、アッシュがそれをどう感じたんだろうということ。失われたその居場所を、ずっと大事に思っていたアッシュが、それを知ったときどれほどの衝撃を受けたのだろうということだった。今でさえこんなに辛そうな顔をしているのに……。

 どこまで。

 キムラスカ・ランバルディアという国は、どこまでこいつから居場所を取り上げるんだろう。そもそも幼い頃に繰り返し行われた惨い実験が、アッシュ、いや被験者ルークから名を奪い、親を奪い、家を奪い、友人を、婚約者を、居場所を奪ったのだ。──最終的にそれらを全部奪ったのは他ならぬ自分なのだけれども──……。

 ルークは泣きたい気分でアッシュの背中に両腕を回し、ぎゅ、と抱きしめた。
 何もかもを手の中から零してゆくアッシュのために、何か自分にも出来ることがしたい。でもどうしていいか分からず、幼い頃、悲しい時や寂しい時に、母やガイがしてくれたよう、ただ抱きしめることしか出来なかった。

 抱き返されるとは思っていなかったアッシュは、一瞬びくりと体を強ばらせたが、すぐにより力を込めてルークを抱き寄せる。回線は繋がらなくなったが、完全同位体同士なのだ。ルークが自分に縋って来たのではなく、自分を慰めるためにこうしてくれたのだと、すぐに分かったからだった。
「誤解するな。俺はもう、あの場所に固執してなんていねえんだ。心配しなくていい。もう俺の思う通り好きに生きていいんだと、父上にそれを謝られた時にはむしろほっとしたくらいだぜ」
 何の虚勢もない、それが本音だった。ルークを好きになる前なら、かなり辛い思いをすることになったのだろうが……。

 辛いどころか、 まだ戻って来たばかりで三年前の記憶も生々しい……つまりアッシュとは隔意あるはずのルークが、自分のことを心配して、慰めようと抱きしめてくれた気持ちが嬉しかった。
 アッシュは思わず、頬のあたりに押し当たっているルークのつるんとした額に、唇を押し当てずにはいられなかった。
「お前は? きつくねえか?」
「おれは全然平気だ。強がりなんかじゃねー」
「それならいい。それが、一番心配だった。……ところで、小さくなっちまったな、お前」
「うるせーな、おれは変わってねー! ちょっとでかくなったからって、いい気になるなよな!」
 くぐもった声でルークは悪態をついたが、それでもアッシュを放そうとはしない。アッシュは珍しく声を立てて笑い、ルークをほんの少し驚かせてから話を戻した。
「ただ、そいつはやはり妾腹になるわけで、父上はお前を跡取りにしたがっておいでだ。だから嫌じゃなけりゃ、ファブレはお前が継ぐといい」
 本当はシュザンヌへの遠慮もあるとアッシュは気付いていたが、それを口にはしなかった。それは口に出した途端に、シュザンヌをとても大切に想っているルークに将来を強制する可能性があったからだ。
「はあっ?!」
 おでこのキスにも動じなかったルークも、さすがにそれには驚いて、アッシュの胸に思い切り手をついて引き離しながら、素っ頓狂な声を上げた。「なんでそうなるんだ? おれだってレプリカだぞ?!」
「んなこた分かってんだよ。ただ、お前は、父上と正妻である母上との間に生まれた俺の、レプリカだ。つまり、……あれだ、お前の方が血が濃いからな」
「濃いったってレプリカはレプリカだろ。それに父上や母上がいくら息子って言って下さっても、おれ……母上から普通に生まれたんじゃねーもん。それなら妾腹でも普通の人間の方が」
 ゴッ
「だっ!」
 全く容赦のない拳が頭に落とされ、ルークは目の前に星が飛び散るのを感じながら頭を抑えた。
「この屑!」
「あっしゅ」
「レプリカは、人から生まれた人間と同等じゃねえってか。てめえの今の発言は、てめえだけじゃねえ。他のレプリカ達をも貶める発言だ」
 静かな怒りを含んだアッシュの発言に、ルークは俯く。
「アッシュだって、そのベルケンドの兄弟と母上の実子の権利が同等じゃないみたいなこと言ってるじゃん」
「それとこれとは全然違う問題だろう?!」
「どう違うんだよ? ぜんっぜん分かんねえ。兄弟だろ」
 ──このくそガキ、本当に始末がわりい!
「レプリカと被験者の権利は、キムラスカ、マルクト、ダアト、すべての国の法律で同等だと定められてんだ。対してキムラスカ・ランバルディアの法律では、嫡子と庶子の権利を同等であると認めていねえ。家督を巡る内部抗争を避けるためだ。以上、理解出来たか」
「……そんなのおかしい。おんなじ父上の子供だろ」
「そうかもしれねえが、仕方ねえだろ。争いを避けるためにも、ここの線引きは絶対に必要なんだ」
 見下ろしたルークは口を尖らせてはいるものの表情は凪いでおり、どんなに悔しげな顔をしているかと思ったアッシュを拍子抜けさせた。
「ごめん、分かった。……もう言わねー。レプリカと被験者が同じ権利だって叱ってくれてありがとう。おれ、殴られても嬉しかった」
 ルークは素直に礼を言ってから、
「アッシュは、おれが、おれもファブレ家の、父上と母上の子供だからって権利を主張しても気にしないのか? アッシュも、その子じゃなくておれが継いだ方がいいと思ってんの?」
 と聞いてきた。
 すると、らしくもなくアッシュが視線を泳がせた。
「……本音じゃない?」
「違う、そうじゃねえ。音素はともかく、遺伝的にはお前は俺の……いや、いい。言いたくねえ」
 アッシュらしくもなく言葉を濁すのにルークが目を丸くしていると、アッシュは凄まじく眉間に皺を寄せたまま、後頭部をがりがり掻いて、
「とにかく、俺はファブレに関するすべての権利を放棄している。というわけで、今はお前が継嗣ということになってんだ。その権利があるってだけじゃねえ、父上もお前が可愛いから、お前に継がせたいと思っていらっしゃるんだ。だけど母上と俺は、お前の好きなようにしたらいいと思っている。お前はもう十分、縛られて生きて来た。自由なあの子を、二度と家に縛ったりしたくないと母上もおっしゃっている。だからお前がしたいように、やりたいように、お前はこれからは、自分で居場所を作って生きて行きゃあいい」
 と言った。

 居場所を自分で決めたことなど、ない。
 自分で決める自由が、これまでルークにはなかった。
 自由とは、とても不安なもの。不安だけど、何故かわくわくもする。
 ルークは神妙に頷いた。

 目を細めて、アッシュがルークの髪をくしゃりと撫でたとき、ノックの音が聞こえた。
「閣下、ルーク?さん?、部屋の用意出来ましたよ」
「あいつ、まだ信じてねえのか……」そのくせ、俺の気持ちは敏感に見抜きやがった、とアッシュは苦虫を噛み潰したみたいな顔をして溜め息をつき、視線でルークを促した。
「簡易なもんだが、シャワーも付いてるから、砂を落として少し眠るといい。夕めしは……起こしにいってやるよ」

 頷いて宛てがわれた一室へ向かったルークだったが、シャワーを浴びて髪を乾かしたところで力尽きたらしく、アッシュが夕食に連れ出そうと声をかけに言った時には、湿ったタオルを髪にまとったまま、バスローブ一枚の姿でベッドの上に倒れ込んでいた。
 何度か声をかけても起きる気配もなく、アッシュは結局ルークを抱き上げ、今まで彼が敷いていたブランケットの下に寝かせてやった。元気そうにしていたが、やはり疲れていたのだろう。
 眠っていると本来の年齢がより強く現れるのか、とても十八の青年には見えない稚い寝顔を、アッシュは、彼を知るものなら誰もが目を疑うような柔らかい表情で見下ろした。
「後で、何か持って来てやるか」
 唇に啄むようなキスを数度落として、アッシュは未だ明るい部屋のカーテンを引き、明度を落として部屋を後にしたのだった。


この連作のルークは、私が考えるお話の中でも子供っぽい方だと思っていましたが、なんだかアッシュが本懐を遂げるのもそう難しいルークではないような気がしてきました。この連作で一番最初に思いついたのはすでに出来ちゃった後のお話なんですが、そこまで辿り着くのは意外に簡単なような。2011.02.20