砂紋果つるところ 1

 こんなに身の置き所がない思いをしたことは、未だかつてないようにルークは思った。

 その部屋にいる人々は──ここはローレライ教団ケセドニア支部神託の盾騎士団駐屯所内の特務師団の部屋なのだから、全員がアッシュの部下たちだ──あからさまに仕事の手を止め、窓際に置かれた応接セットのソファで身を縮こめているルークを注視していた。
 それはもう興味津々、といった様子を、教団の騎士ともあろうものたちが隠す気もないらしい。視線が物理的な力を持っていたなら、今頃ルークは穴だらけになっていただろう。

「お茶どうぞ!」
 そばかすの散った陽気な顔をした青年が、お茶と素朴な感じの焼き菓子を山ほど盛った皿をルークの前に置いた。
「あ、ありがとう……?」
 ルークは青年に礼を言いながら、視線だけでアッシュに伺いを立ててみる。アッシュは少し離れたところで上着を脱ぎながら、報告を聞いたり指示を出したりしているようだったが、ルークの視線に気付き、一瞥して状況を見てとると、顔をちょっとだけテーブルの方に動かした。
 それでルークは「貰っとけ」というアッシュの意思を確認し、おずおずとカップに手を伸ばした。ルークだっていつもはこんなに遠慮深い質ではないのだが、なにせここは被験者であるアッシュの大切な職場。恥をかかせるような真似を、断じて自分に許すわけにはいかないのだ。
 すると、お茶を運んで来た青年がまるで当たり前のようにルークの前に腰掛けた。
「自分は、神託の盾騎士団特務師団師団長代理を、無理矢理やらされましたワインハウス奏手であります。以後、よろしくお願いします!」
「おれは……」
 釣られて名乗ろうとしたルークだったが、一体自分は何と名乗るべきなのかとはた、と困って口を噤んでしまった。
「よろしくしなくていい」
 頭上から声が振って来て、大きな手がくしゃりと頭に乗せられた。何かの書類を数枚持ったまま回り込んでどさりとルークの横に腰を下ろす。
 ワインハウスがアッシュのぶんのお茶の用意をしながら、屈託なく問い掛けた。
「閣下の弟さんですか?」
 するとあちこちからすぐに否定の声が上がった。
「師団長は一人っ子だろ」
「腹違いとかあるじゃん」

 ルークが道々アッシュに聞いた話によると、三年前にすべてが終わった後、その一年で何が起こっていたのかは、全く何も隠さず、改竄されることもなく全世界に発表されたそうだ。誰が一体どういう事情で、どんな役目を果たしたのか。今や子供でも知らぬ者はないらしい。秘されていたアッシュの出自も、当然このころに団員たちに知れたのだが、一般庶民出の団員達に、『貴族』『王族』というものに間違った認識を与えたまま、今に至る。
 ちなみに一部は叙事詩──サガとなって、当事者たちが赤面するような修飾付きで流布したりし始めているのだが、さすがのアッシュも、聞けば音譜帯に逃げられそうで、このことはルークには話す気にならなかった。

「こいつは俺のレプリカ、ルーク・フォン・ファブレだ」
 何でもないことのように告げられた一瞬、ルークは身を固くしたのだが、目の前に座る青年が非常にいい笑顔で口に出したのは「へえ」の一言だった。
 ルークが驚いて目を見張る一瞬の間を開けて、部屋のどこからか──二、三カ所からか、「プッ」と吹き出す声も聞こえてくる。
 笑うとこなのかとアッシュに聞きたかったルークだが、真横から流れてくる真っ黒のオーラが恐ろしくて、顔を窺う事さえ出来なかった。
(こ……この人たち、なんで笑ってるんだろう? それに……それに、このオーラをなんとも思わねえのかよ?!)
 押し寄せてくる圧力に、ルークはただ無力に体を震わせて、なんでここに来るなんて言っちゃったんだろう……と遠い目をした。

 話は十数時間遡る。

 ひどい砂嵐を抜け、アッシュとルークはケセドニアの少し手前にある森の中に避難した。
 裂いた服を顔に幾重にも巻いていたにも関わらず、口の中まで砂の味がするのを水筒の水で洗い流して、やっと人心地つく。
 ケセドニアはもう目と鼻の先なのだが、華氏百度を超える季節外れの砂嵐が砂漠から対岸まで吹き付けていて、二人は体力をかなり削られている。特にルークはまだ検査も受けてない状態なので、まだ大丈夫というルークの意見はアッシュに聞き入れてもらえなかった。
「少し早えが、ここで夜明かしするか」
 砂を払いながらアッシュがいい、頭上を見上げる。木々の隙間から見える空は未だ黄色いが、少なくとも、ここにいる限りは熱風に晒されずにすむだろう。
「この分だと、ケセドニアで宿を探すのは難しいかもな。あっちで足止めされてる人もいるんだろーし」
「教団の宿舎に泊まりゃいいじゃねえか。……宿の方がよけりゃ、なんとか手配するが」
「へ? ……宿舎??」

 エルドラントからここまでの道すがら、アッシュはルークに乞われるままに、仲間たち、ルークが旅の途中で出会った人々の消息を知っている限りで話してくれていたが、自分のことはあまり話さなかった。
 別に隠している、という感じではなく、取り立てて話すような変化もないというような態度であったので、ルークも全く不審に思わなかった──その、変化がないというところが、最も重要なところであったのに。

 だから、バチカルに戻って次の国王になる準備をしているとばかり思ったアッシュが、未だにダアトにいて、特務師団長など務めており、今はケセドニアの教団支部に、レプリカがらみの事件調査で赴任中と知って、ルークは絶句した。
 驚きのあまり声も出ないルークに、アッシュは逆に驚かされた様子で、
「なんで。確かに一時軍規違反で特務師団を外されたし、減給処分にもなったが、俺は別に馘にされたわけじゃねえ」
 と言ったのだが、ルークはそれは詭弁だろうと言いたかった。
 第一、ナタリアはどうしたのだ。
 問うと、アッシュは随分けろりとした様子で「ナタリアには振られた」と一言述べた。
「なんで?! ナタリアはずっとお前を想ってたのに……! ナタリアがお前を振ったりなんて本気でするはずない! お前、ナタリアに何したんだよ! なんでそんなこと言わせたんだよ!!」
 恋愛感情がそこになかったとはいえ、ルークが約束の相手ではなかったとはいえ、ナタリアは短い間だが確かにルークの婚約者だった。その婚約者をないがしろに扱われて、男子たるものが、黙っていて良いわけがないのである。
 ルークは激昴してアッシュにつかみかかったのだが、アッシュは半ば憐れむようにルークを見つめ、そっと手を外させながら静かに言い聞かせたのだった。
「……ナタリアは、選べなかったんだ」
「なにを?!」
「俺か、お前を、だ」
「はあ?!」
「あのな」アッシュは溜め息をついて言った。「『約束』は確かに俺としたもんだが──子供の頃にな。十歳から十七歳という大事な時期に過ごしたのはお前なんだ。ナタリアが俺に持ってたのは、子供の『好き』だったが、お前といたころにはもう少し違う気持ちになってたってこったろ」
「……意味、わかんねえ!」
「何いばってやがる」アッシュは溜め息をついた。「……まあ、中身が七つじゃ、所詮こんなもんか……。とにかく、ナタリアは、どっちを選んでも、選ばなかった方をもし選んでいたら、と生涯悩み続けるだろうと言ったんだ」
「……そんな」
「で、陛下が見かねて『お前の真の婚約者に会ってみるか』と言われた」
「真の婚約者……お前??」
「……てめえ、話をちゃんと聞いてやがるのか?」
 アッシュは疲れたように額を押さえて首を振った。
「俺も迂闊だったんだが。何せ考えもしてなかったからな……。『ルーク』は十八でアクゼリュスで死ぬという預言が詠まれていた。もし本当にそうなっていたら、ナタリアは一体誰と結婚するはずだったんだろうな、って話だ」
「あ!」
 さすがのルークにも、事の次第が理解出来た。そもそも当時でナタリアは十八、適齢期まっただ中である。『ルーク』が死を迎えてから、慌てて違う相手を捜し出すのはいくらなんでも遅きにすぎる。貴族はほとんどが幼少の頃に将来の結婚相手が決まっているのが普通だからだ。
「俺が死んでから慌てて探したって、いいのが残ってるわけもねえ。──つまり、将来は国王だと言い聞かされて育ち、相応しい教育を受けた、真っ当な婚約者がいたというわけだ」
「じゃ、じゃあ! なんで最初からその人が婚約者じゃなかったんだよ!」
「さてな。家格が一番釣り合う俺を候補から外すうまい言い訳が思いつかなかったか、本命の髪や目の色が気に染まなかったか」
 或は髪の色のせいで、何かと立場が不安定だったナタリアに『英雄の元婚約者』という箔を付けたかったか。
 その辺りの事情は、語られない限りは憶測することしか出来ない。
「俺も、ナタリアに気持ちの変化を告げた。互いに子供で、共にいない時間が長過ぎたんだ。仕方ねえことだろ。実際に会ってみて、ナタリアはその本命に決めた。もしかしたら二人のどちらかを選んでいたら、とくよくよ考えることもあるかも知れないが、俺か、お前か、どちらかを選ぶよりましだとよ。とは言っても、最近のナタリアの様子を聞く限り、いらん杞憂だったようだが」
 ルークは何も言えず、俯いてしまい、はっと顔をあげた。
「お前ナタリアに振られたショックでお「犯されてえのか」」
「……済みません」
 思いついたことを、良く考えもしないで口に出す癖を止めないと、いつか大変な事態を引き起こすだろうということが、ここに至ってやっと飲み込めたルークは、素直に謝って視線を落とした。
 そんなルークに呆れたような溜め息をついて、座って休むよう促しながら、アッシュはもう一つの事実も話すべきか話さざるべきか悩み、結局かるく首を振って打ち消した。何もこんなところで話す必要はない。

「明日は先に支部に顔を出さなけりゃならねえんだ。……なんせほとんど飛び出すように出て来ちまったからな。宿舎に行くなら待っててもらわなきゃならねえが、宿のがいいなら誰かに案内させよう。どうしたい?」
「えっ」とルークは驚いてアッシュを見上げた。「お前の職場に行くのか? おれも?」
「なんかまずいのか」
「えっ?! う、ううん。ねーよ! 行く行く! 行くよ! 宿舎でいい!」
 何をそんなに力んでいるんだか、とアッシュはいぶかしげにルークを見下ろしたのだが、しょんぼり肩を落としていたルークが、なんだかものすごく嬉しそうに瞳を輝かせているのを見て、ふときつい目元を和ませたのだった。
 ルークは、アッシュがほぼ一人でいるところしか見たことがないので、アッシュが仕事をしているときや、同僚といるときにどんな顔をしているのか、態度なのか、皆からどんな風に思われているのか、その一端を覗ける機会が与えられたことが嬉しかったのだ。

 ──のだが。

「てめえらな」
 何か言いかけたアッシュを遮るように、目の前の青年がルークに笑いかけた。
「ほんとは誰? 師団長の何? 腹違いの兄弟とか?」
「えっ?」
 ルークは思わず聞き返してしまった。今言ったじゃん。たった今、アッシュが自分のレプリカって言ったじゃん。
「おれ、アッシュのレプリカだ。嘘言ってないぞ」
「んー……。師団長のレプリカが三年前にどんな役割を果たされたのかは、自分だって知ってます。だけど年が違うし、身長も顔も全然違いますよ? 師団長のレプリカ『英雄』ルーク様なら、閣下と見た目同い年のはずでしょ?」
「ルーク様は今、行方不明っていうのも有名な話ですよね」
「え、えいゆう? るーくさま? そ、それはっ……だっておれ戻って来たばっかりで体成長してなくて、でも顔はっ、三年前は鏡みたいだって言われてたんだぜ?!」
「えー? 悪いけど、師団長をいくつか若返らせたってこう、可愛い系の美人さんにはならないと思いますけど」
「かっ……?!」
「レプリカごっことかじゃないんですよね?」
「ごっ…………?!」
 ごっこって何、ごっこって。なんでそんなことする必要が。それとも三年後の世界ではそんな遊びが流行っていたりするのか。

 すでに言葉もないルークに追い打ちをかけるように、奥の方で何か書類を作成していた眼鏡の女性が「師団長は確かに美人だけど、強面系ですよねえ〜! 系統が全然違うし、レプリカはないわ〜」と笑い声を上げたのに部屋中が笑いの渦に巻き込まれた。
 真っ黒なオーラを纏って立ち上がったアッシュに、ワインハウスがまあまあ、というように手をヒラヒラと振った。
「閣下が隠そうとするからですよ。皆、閣下がこんな可愛い子なんて連れてくるから、興味津々なんです。確かに似てるのは認めますけど……。俺たち、仕事柄一般の人よりレプリカに詳しいし、レプリカの知人も多いでしょ? ちょっとその言い訳は厳しいっすね」
 誰がなんの言い訳か! この屑どもが!! とアッシュは吠えて部屋中の者たちを睨みつけたのだが、その際に隣のルークがふっと視界に入った。見下ろすと、ルークの不安と困惑にゆらゆらと揺れた大きな目が縋るように見上げてくる。
 なんて目してやがる、と胸をぎゅっと掴まれるような心持ちで、しばらく見つめ合った後、アッシュは深く長く溜め息をついて、座り直した。それだけのことで、怒りに逆巻いていた気分が静かに凪いでいた。
「確かに、これが自分のことじゃなかったら、俺だって笑い飛ばすに違いねえ。……三年前はもうちっとは似てたと思うんだがな……」
 頬杖をついて横目でルークを見やり、空気が変わったのを敏感に察してほっと力を抜いたルークの後頭部をぽんぽんとはたいてやった。
「おれ、アッシュのレプリカで間違いないよな?」
「お前までなんだ」アッシュは苦笑した。
「混乱してんじゃねえ。お前、取り敢えずベルケンドで体に異常はないか診てもらえ。先に屋敷に帰すつもりだったが、行ったり来たりも面倒だろう……母上の精神状態のためにもその方がいいはずだ。鳩を飛ばすよう手配しておいたから、おっつけティア・グランツとアニス・タトリンが来るだろう。二人がバチカルまでお前に付き添ってくれる。それまでは──せいぜい二、三日、ってこったろうが、ここでぶらぶらしてるといい。街も変わって来ている。お前には興味深いはずだ」

おお、師団長がお優しい、などという静かなどよめきを少し気にしつつ、ルークは頷いた。「分かった、ありがとうアッシュ。──でもお前は? お前はバチカルまでは付いて来てくれないのか?」
「数日留守しただけでこれだからな」
 アッシュは手にした書類の束をバサバサと振って見せた。「ま、ここにいる間は出来るだけ構ってやるよ」
「なっ、いらねーよ!」
 意地悪なアッシュの物言いに、ルークはちょっと顔を赤くして意地を張った。
「師団長、彼、ここに泊まるなら師団長の部屋でいいんですよね? 寝具運ばせます? 今は砂嵐のせいで宿が全然足りなくて、空いてる宿舎も臨時の宿として一般客に解放しているので、部屋が一緒でいいなら一室浮いて助かるんですけど」

「いや、悪いが一室頼む」
「あ、それならおれ、アッシュと一緒でいいよ」

二人の台詞は同時に放たれ、また二人は同時にあっけにとられたような顔で互いを見つめた。
「……馬鹿だろお前」
「や……やっぱりおれなんかと同じ部屋だとお前は嫌だよな……」
 しゅん、と落ち込んでしまったルークに今度こそ疲れたようにアッシュはがしがしと頭を掻いた。言いたい事は山ほどあるが、この場でそんなことを言おうものなら──この鵜の目鷹の目で師団長の楽しいゴシップを探っているやつらに知られたら、この支部の建物どころかケセドニアまで燼灰に帰してしまいそうだ。
「そんなわけねえだろ……」
 こいつあちっとも俺の話を理解しちゃいねえ! 落ち込みたいのはこっちだとアッシュが息を吐いたとき、アッシュもルークも気付かなかったが、目の前に座って面白そうに二人のやりとりを見守っていたワインハウスがちょっと目を見張った。
「うーんやっぱ師団長と同じ部屋じゃ気が休まんないでしょうし、一部屋用意しますよ。それまで積もる話もありそうだし、師団長の部屋で待ってて下さい。閣下もそのくらいならいいでしょ?」
「あ、ああ……」
 急に態度を変えたワインハウスにアッシュは顔を引きつらせ、部屋にいるものたちはそれぞれ不審や納得、といった表情を浮かべたのだが、ルークだけは気付かず、複雑な顔をして頷いた。
「ありがとう……その、お茶も。美味しかったです」
「可愛いなあ。気に入ったなら、また飲みに来てくれると嬉しいです」
「こんな魔物の巣に出入りしなくていい」
 苦々しげにアッシュが言い、ワインハウスが意味ありげにくすりと笑う。
「──なんだ」
「いえ、行きましょうか」
 この人、なんだかジェイドに少し似ているかも……とルークはほんのちょっぴり親しみを覚え、部屋にいる人々に緊張しながら会釈をすると、アッシュに促されるまま部屋を後にしたのだった。

「くすっ、可愛い。恋人だったんだ〜」
「まてまて慌てるな。ありゃ、師団長の片思いと見た!」
「あっ、あたしもそう思った! なんか鈍そうよ、あの子」
「私全然気付かなかった……」
「師団長も苦労が多そうだな……気の毒に」
「あの子、落ちるかな?」
「賭けるか?」
「「「乗った!!」」」

 三人が立ち去ると、残された者たちはわっと集まって、口々に勝手なことを言って盛り上がったのだが、幸いにも足音が十分に遠ざかったのを確認してから行われたそれらの会話に、ルークが気付く事はなかった。