ディストに面会する前よりもぐちゃぐちゃになった頭で向かったガルディオス家の邸宅は、三年前にも何度か滞在したことがあるが、当主が留守がちだった当時より使用人の数も大幅に増え、隅々まで手が入れられており、名実とともに伯爵家の体裁を成している。
「使用人根性が染み付いてるっていうか、俺はなんでも自分でやっちまう癖があって良く叱られてるんだ」ガイは三年前にはいなかった執事にちらりと目をやり、苦笑した。「何もこんなに使用人がいなくてもと今でも思うんだが、この屋敷は実際これだけいなきゃ維持出来なくてさ。爵位に見合った屋敷、使用人、衣装、食事、そういう生活をしなきゃ宮廷でも舐められちまって相手にもしてもらえない、発言も通らないって、変な話だよな」
ガイは「ブウサギの世話係に毛の生えたような」と自らの役職を揶揄するが、短い滞在でもそれが謙遜であることは明白だった。
「おれの苦労がわかったか」
「逃げ出したい気持ちもなー」
それでも当主の意がある程度は汲まれているのか、メイドはお菓子や茶器を並べ終えると給仕はせず、ガイに任せて下がっていったし、今は再びガルディオス家の左の騎士として仕えるペールもガイに促されるまま同じ席に付いてくれている。
「そうだ、ペール。アルバート流の剣の師匠になってくれそうな人、知らないかな。そろそろ稽古始めたいんだけど、おれ、こんな感じでさ。……正直、身体で憶えた動きが型を崩さずそのまま再現できるのかわかんなくて」
ルークはしょんぼりと両の手のひらを二人に見せた。
新たに作られた身体なのだということは何度かやりとりした手紙の中で早々に打ち明けていたのだが、それがどういった意味を持つのか、おそらく本当には分かっていなかったのだろう。
ほっそりと白く、柔らかな手のひらを息を飲んで見つめる二人から、ルークはバツが悪そうに手を引っ込めた。
「……身体がまだできてないころから稽古してた前と違ってさ、今はもうある程度骨格ができちまった状態だから。今から稽古しても、もう前と同じ身体にはならねーんだって」
ガイが驚いたように瞬きし、次いでふんわりと明るい笑みを浮かべた。
「前とは違う身体を作って行けばいいさ。第七音素が急速に減少して、レプリカも乖離しにくくなってきてる。いずれは被験者と同じように生き、老いて、死んで棺に納まることができるようになるんだ。前の実力を追い抜く時間はたっぷりあるだろう? ペールじいさんを見ろよ。こんな歳なのに、俺はまだ五分に持ち込むのが精一杯なんだぜ」
「恐れ入ります」
ペールはバチカルで庭をいじりながらルークを癒してくれていたように、今もおっとりと笑っている。ルークは二人をじっと見つめ、ややあってうん、と頷いた。
あせりや、どうにもならないことに対する憤りがすっと引いていく。生きている、ということだけでもありがたいことなのに、時間が経てば人間貪欲になっていくものだ。
「ホドの災厄を逃れたもののなかには確かにアルバート流を使うものもおりますが、しかし……今弟子を取れる腕のあるものというと……?」
「ルークにもお前がシグムント派の剣を教えればどうだ? 使い手が俺一人だと、俺の代で途絶える可能性だってあるぞ」
「ガイ」
不吉なこと言うなと嗜めるように名を呼ぶと、ペールも深く頷いた。「このペール、ガイラルディア様のお子に剣をお教えする夢をまだ捨ててはおりません」
「え、そんな夢持ってたの……」
苦笑して頭を掻くガイに、ペールは困惑したように首を傾げた。「同じアルバート流とはいえ、シグムント派はルーク様もご存知の通りずいぶんと違う剣です。アルバート流は本来、剣術と体術を交えたかなり独特のものですからなあ。ですが、今のお身体で剣術を始めるならば、確かに力重視のアルバート流よりも、素早さ重視のシグムントの剣の方が向いておられるかもしれません」
本来一名しか継承できない剣をルークに教えてくれようとすることは、涙がでるほど嬉しいことだった。だがルークはゆっくりと首を振った。
「おれは……できればまたアルバート流を修めたい。ホドなき今、アルバート流自体が廃れていく剣術だとしても、おれにとっては、ヴァン師匠がおれに残してくれた形見みたいなものなんだ。……馬鹿みたいだって思われるかもしんねーけど」
頑固だと笑われるかも知れない。ヴァンのことをまだ慕わずにいられないなんて本当に馬鹿みたいだとも思う。 だが、横合いから伸びてきたガイの手は、小さなころ何度もしたように、ルークの頭をわしゃわしゃと優しく掻き回した。「馬鹿だなんて思うもんか。ルーク、賭けてもいい。お前のその気持ちを、ヴァンデスデルカは嬉しく思うはずだ」
「ヴァンデスデルカ」目を閉じてそれでも心当たりを必死に探していたペールがふっと目を開けた。「わしとしたことが……。最適な方がお一人おられるではないですか。アッシュ様が」
突然ペールの口から飛び出したアッシュの名に、ルークの心臓が強く跳ねた。
「アッシュか~……」腕組みしたまま、ガイが複雑そうな顔で唸る。
「バチカルでの騒動の折りにただ一度お見かけしただけじゃが、神託の盾でもヴァンデスデルカのもとで研鑽を積んでおられたのじゃろう。アルバート流の隙を突くシグムントの剣をもってしても良くて相打ちかというほどの凄まじい剣の冴えじゃった」
「あいつが素直に師匠を務めてくれるなんてとても思えないぜ。よせよせルーク。だれかほかにいないのか、ペール。正式な型さえ見てもらえれば、それほど強くなくてもいい。型さえ崩さなきゃ、ルークは自分で強くなれるやつだからさ」
苦笑して、ありえない、と言うように手をひらひらさせているガイにペールがなにやら反論し、ガイがまた食ってかかる。祖父と孫として過ごしていたバチカルの屋敷でよく見せていたような親しみのこもったやり取りを笑みを浮かべて見つめながら、ルークは頭では別のことを考えていた。
大爆発の影響で弱り切っていたアッシュにさえ、ルークは激闘の末に辛勝するのが精一杯だったのだ。屋敷に軟禁され、合図に合わせて平和に剣を振っていたルークと違い、アッシュはヴァンのもとで、実戦を繰り返しながら研鑽を積んだはずで、子どもと大人ほど腕に開きがあるのはむしろ当然だった。なぜアッシュのことがすぐに思いつかなかったのかいっそ不思議なくらいだが──いや、アッシュのことは始終考えていたが、ルークは好きだと言われたことばかりに気を取られていたのだから仕方ないかもしれない。
──あなたがアッシュと暮らしたいと言えば、ファブレ公爵夫妻には止めることができませんよ──
あなたの思うように生きて欲しいとシュザンヌに何度も言われたのに、ルークは屋敷を出て、アッシュのところに行きたいなど、そんな我が侭は言えないと思っていた。
なのにアッシュに剣を教えてもらえるかも知れないと思ったら、もう心がバチカルを離れて駆けて行くのがわかる。
心が向かう場所へ行きたい。
アッシュのところへ行きたい。
これまで全然知らなかったアッシュのこと──意外に部下に慕われているようだとか、物を捨てずに溜め込む癖があるとか、手づかみで品良く食事するとか──そういうことをもっと知りたい。
ペールの一言は、いわば最後の一押しのようだった。
胸苦しいほど鼓動の激しくなる胸を押さえるように、ルークは遠くケセドニアへと想いを馳せた。
ルークの帰国を一日千秋の思いで待ちわびていたというシュザンヌとクリムゾンに、ガイやペールの近況、ミュウがつがいを持ったこと、マルクト皇帝との会食の様子を報告し、ルークは改めて姿勢を正し、二人に向き直った。
「アッシュのところに行きたい?!」
屋敷を出て、アッシュのところに行きたいと願い出たルークに、クリムゾンが驚いたような声を上げる。はい、とまっすぐに視線を返してうなずくと、二人は不思議そうに顔を見合わせた。
「ああ、いえ。ダメと言っているのではないのよ。あの子のところなら、ほかのどこよりも安心できますものね。ただわたくしも旦那様も、あなたがここではないところに住みたいと言い出すなら、ガイのところだと思っていましたから驚いただけなの。いつのまにか仲良くなってくださったのね」
シュザンヌが嬉しそうに笑う顔を見て、ルークはほっとするような、だが非常に申し訳ない気持ちになって俯いた。
今、アッシュとルークが非常に奇妙なかたちで互いに気持ちを近づけようとしていることは、ノワールとディストの他は誰も知らないし、気付いてもいない。今も互いに反発し合っている関係だと思っているだろう。ルークが半月前、いや、三年と半月前までそう思っていたように。クリムゾンも、仲良くして欲しいと思いながらもそれは叶わないかもしれないと、ルークがアッシュに遠慮して屋敷に寄り付かなくなるかもしれないと、そう思ったからこそ珍妙な戸籍をこしらえたのだ。
「おれの剣の師匠になれるのは、もうアッシュしかいません。好きなことをやれと言って下さるお気持ちにずうずうしく甘えてしまって申し訳ないと思ってます。別に、剣で身を立てたいとか、家を継ぎたくないとか、今はそこまで思ってるわけじゃないんですが……このままここにいて、ファブレの後を継ぎたいという強い気持ちもないんです。それでもおれにこの家を、と言ってくださるなら、そのことはこれからゆっくり考えます。──許していただけませんか、父う、いえ
「劣化、劣化と人はレプリカを蔑みますが、ことに遺伝子の複写のミスについては悪いことばかりではないんですよ。むしろ生物としては絶滅の危機を避ける為に当たり前に起こっている事象です。アッシュにも話しましたが、髪の色がそれほど違う時点で、遺伝学的に同じ人間であるはずがなかったんです。そう、髪の色。あなたの髪の色はアッシュのように濃い赤ではありません。髪を赤くする色素が少し足りないんです。それを人は劣化と呼んできましたが、本当にそうなんでしょうか?
親の身長に届かない子、親の持つ才能を受け継がない子、親は美しいのにそうでない子、そういうことはフォミクリーでなくとも普通にあることです。その代わり、親にない能力を持っていたりする。アッシュの顔立ちは性格のきつさを思わせますが、あなたの顔は優しげで子どもっぽく、人を安心させます。これは劣化ですか? アッシュの髪の色は二つ名通り鮮血の色をしていて、戦いの場に身を置く神託の盾では不吉な色だと嫌うものもいました。人によっては、あなたのその夕日のように温かい色の方が美しい、好きだというでしょう。その人は、あなたの髪の色を被験者より劣化しているとは決して言わないでしょう。
音素は原素同士を繋ぎ、そして扱う譜術の属性やその威力を決定する以上の役割は持ちません。その点は確かにレプリカは被験者に比べて力劣りますが、市井で暮らすほとんどの人は大した譜術など扱えませんよ。要するに必ずしも就きたい職業に就けるとは限らないって程度の問題ですね。譜術力が弱いのに譜術師になりたいと言っても無理がありますから。でもそれは被験者も同じです。ジェイドを見てご覧なさい! 第七音素の素養がないのに、それを扱いたくてどれだけじたばたしたことか! ネビリム先生が亡くなったのも元はといえばその悪あがきが招いたことなのです……くっ……!
フォミクリー被験者とレプリカは、これまで双子のようにと例えられてきましたが、そうではないんですよ。双子は譜業で遺伝子を調べた場合、同一人物と判定されます。音素振動数が違うので、区別がつかないってことは絶対にないんですがね。ところが被験者とレプリカの遺伝子は酷似していますが違います。同じように譜業で遺伝子を調べると、両者は別人という判定になります。ですから被験者とレプリカの遺伝子的な関係をあえて家族関係に例えるなら、双子というより親子というのが近いのです。
キムラスカは長子相続を重視する国ですから、現状ファブレ家の跡取りはアッシュ・フォン・ファブレ氏──プッ──ですけれど、彼に何かあった場合、次子に当たる庶子ではなく、アッシュ・フォン・ファブレ氏の長子であるルーク・フォン・ファブレ、つまりあなたに相続権が移譲されるわけです。年齢通りあなたを第三子としていたとしても、キムラスカの法では庶子よりも実子扱いのあなたの方が相続権は上ですが、アッシュ・フォン・ファブレ氏──ププッ──の長子にしておいたほうがなにかと逃げられにくいのは確かです。ファブレ公爵もなかなかの策士ですね!
自分の遺伝子の複写といえるのが通常五割に過ぎないのにくらべて、フォミクリーは十割すべての遺伝子の複写が行われるわけですから、普通の親子よりは似通った顔かたちでのスタートになるでしょう。それこそ双子のように。ですが遺伝子は同じものではないですから、年を取るたびに容姿は違うものになっていくはずですよ。血の繋がりが否定されるほどの違いは出ないと思いますがね!」