「アッシュはカードは? たくさんもらった?」
「いや。家族や恋人以外に贈り物をしたり、カードや花を配るのは学生のうちだけらしいからな」
「そうなんだ」
「お前は……家族だし。お前には用意した」
どこか苦虫を噛み潰したような顔で忌々しげに顔をそらすアッシュを、ルークは上目遣いにちらりと伺い、苦笑を漏らした。帰って来たばかりのころは、アッシュのこんな反応にもいちいちびくびくしたものだったが、事情を飲み込んでいる今では、そんな顔を見るたびにアッシュもいい加減諦めたらいいのに、というおかしみが沸いて来る。アッシュにとっては到底認められないことなのだろうが、ルークはそのお陰で父上、母上とお呼びしてもよいのかと苦悩した二人を力強く「父上」「母上」と呼ぶ勇気を得たと言える。複雑な気持ちがないことはないが、まあ良かったかな……くらいだ。
「アッシュがおれに? 楽しみだな!」
あの奇妙極まりない帰還の前までは、ウァレンティヌスの祝日にアッシュからカードを貰うような日がくるとは、ましてやこんな服を用意してもらって、一流のレストランで食事させてもらったりするとは思いもしなかったのにな、とルークは揺れる蠟燭の明かりの向こうの、彫りの深い顔をまっすぐに見つめて思った。
──アッシュが、好きだ。
ルークは、一年近く前にアッシュが一人で住んでいた狭い独身者用の宿舎に押し掛けたときから、自分がそのことをちゃんとわかっていると思う。
仲間たちが好きだ。
父上、母上が好きだ。
ノエル、ギンジが好きだ。
ノワールも好きだし、紅薔薇白薔薇の二人も、可愛がってくれるアッシュの部下の軍人たち、学校の同級生や先生も大好きだ。
バチカルへ帰り、四苦八苦しながら本を一冊読み終わると、ルークはマルクトへ向かった。滞在した宮廷で行事をこなしたあと、ディストの収監されている牢獄を訪ね、彼にある事実を耳打ちされた。
その間、考えていたのはアッシュのことばかりだった。まるで滅びゆくエルドラントの大地で、あの神秘的で儚い光景を前に魔法にかけられてしまったかのように、アッシュ以外の何もののことも考えることが出来なかった。
アッシュ以外の多くの人たちへの気持ちと、アッシュへの気持ちが、別のものになりつつあることくらい、もうルークも気付いている。
一度意識すると、ほとんどルークが知らなかった「浮気者の女房」が間男や船乗りの亭主とするようなことにたいしての知識も少しずつ入って来た。アッシュとは今や日常的にキスをしているし、それが好きだとも思う。触れるだけの軽いのも、ぞくぞくするほど深く貪られるようなのも、どちらもルークは好きだ。その先のことをしてみたいなあとも思うようになってきている。だがその相手はアッシュでなくてはならないのかと問われると……そうだと言い切る自信は、まだなかった。
数種類のデザートに食後酒の貴腐ワインまで堪能しつくして、二人は店を出た。行きは演出の一つとしてアッシュが馬車を手配していたが、歩けない距離ではないので帰りは歩くとルークが言ったのだ。
「はあ……すっげーうまかったな……! ケセドニア料理もおれは好きなんだけど、こうやって手をかけたキムラスカ料理食うとおれもキムラスカ人のレプリカなんだなあって気がする」
「そう思うのはキムラスカ人のレプリカ、だからじゃなく、お前がキムラスカ料理で育ったからだろうが」
「あっ、そうか」
苦笑して断じるアッシュに感心したようにルークは頷く。
「寒くねえか」
「ん。今は飲んで食ってあったまってるしさ。歩いていればまた暖かくなるよ」
「今日は雲一つなかったし、やたら暑かったからな。その分冷え込む。風邪引くんじゃねえぞ」
「子どもじゃねえっつーの!」
「口答えすんな、小学生」
酷え、と言いながらルークは笑った。毒のない、こんなやりとりは今や日常茶飯事なのだ。
他愛もない話を繰り返し、たまに憎たらしいことを言うアッシュを突き飛ばす真似をしたりしながら、のんびり歩いて宿舎に戻る。周囲にある家族用の宿舎では、明かりが付いている家とそうでないところが半々。どちらも祝日を楽しんでいることだろう。
「着替えて、ワインとチョコ取って来る!」
「ああ」
基本の好みは似ている二人だった。良い、と思う服も良く似ている。しかし実際にそれぞれが購入したものを互いに見てみると、到底好みが似た者同士が選んだとは思えないものが広げられるのだ。結果としてルークの私服はアッシュが思わず眉を上げるようなものが多くなる。ドレスアップ姿もこれでサヨナラだなと首を振りながら私室に戻り、手早く着替えてルークへのプレゼントを掴み、カードを胸ポケットに押し込んで台所に向かい、簡単に摘めるものの用意をする。食事の間はワインに付き合ったが、アッシュはビールかスピリッツの方が好きなのだ。好みというよりこれは慣れの問題かも知れない。何せ神託の盾にはワインを好むものなどそうはいない。
到底貴族の子弟には見えない、ちょっとおしゃれな下町っ子というラフな格好で、花束を抱えたルークが駆け戻ってきて、アッシュが台所に立っているのを見てテーブルの準備を始めた。火熨斗の当たったクロスを重ね、ワイングラスとショットグラスを一つずつ用意する。
蠟燭に火をつける段になると家飲みにそこまでしなくとも、といったような呆れを含んだ苦笑がアッシュの口元に閃いたような気がしたが、バチカルの屋敷で最後に『預言者ウァレンティヌスの祝日』を祝ったのはいつのことだったか、屋敷ではかなり大仰に祝っていたのを思い出せばこのくらい、とも思う。
かたちも色も味も、おそらくは値段も様々なチョコレートをいくつか皿に移していると、アッシュが数種類のチーズをメインに適当にあるものを切って乗せて行った大皿をテーブルに置き、テーブルを整えていたルークの二の腕を掴んで軽く引き、反射的に目を閉じたルークの唇に触れる。同時に押し付けられた、冷たい金属に目を見開くと、華美ではない、ルークが外の世界に飛び出してから間もなく手にしたのと同じようなカトラスが手の中に押し込まれる。
「アッシュ! ……これ」
「学校には持っていくんじゃねえぞ」
「う……うん。──うん!!」
ルークの身体はオールドラント帰還時に新しく作られたもので、精神と共に七年間を歩んで来たものとは違う。そのため、ルークはずっとアッシュにより佩剣を禁じられていた。
長い間離ればなれになっていた相棒に、やっと巡り会えたような気分で、言葉も無くただ剣を握りしめて立ちつくすルークの前で、自分の椅子の前に置かれたカードに気付いたアッシュが封を切る。紙の上で視線が左右に何度か走ったと思うと、アッシュが目を見張り、次いでなんとも照れくさそうな、アッシュらしくもない表情を見せた。
その顔を見ていると恥ずかしくなって、ルークはぶっきらぼうに「アッシュのは?」と手を突き出した。苦笑したアッシュがシャツのポケットから出して手渡してくれたカードは小さい。大きさに比例して、文章もそれほど長くはない。開いた瞬間にぱっと内容が理解出来るほどだ。
ルークは赤くなって二度、三度と内容を確認するように読み返し、どうやら自分の認識が間違っていないようだと理解すると更に赤くなった。アッシュの気持ちは最初に聞いているし、普段は何も言って来ないことを思えば、ルークの気持ちが固まるまで気長に返事を待つというのは嘘ではないのだろう。だが、ごくたまに、こんな風に不意打ちを食らわせて、俺の気持ちは変わってないぞとルークに思い出させるのだ。
「……まだ、俺はお前を好きでいていいのか」
どこかほっとしたように落とされたアッシュの言葉に、ルークはその小さなカードをぎゅっと胸に押し付けていたのに気付いた。
今日一日、アッシュには色々なものを贈られた。礼服はルークの好みの意匠だったし、食事は最高だった。夢にまでみた佩剣の許可も貰った。
だが、最も価値ある贈り物は、この小さなカードだ。
このカードほど、ルークの心を暖めてくれるものが、他にあるとは思えない。
──アッシュが好きだ。
アッシュが好きだ!
胸の内から、突き上げるようにそんな気持ちがせり上がって来る。カードを持つ手が、剣を握りしめる手が震えている。どうか気付かれませんようにとルークは祈る。
もうすぐ。
きっともうすぐ、その気持ちは身の内を焼き尽くしながら膨れ上がり、叫びとともに溢れ出すことになるだろう。その予感は堪え難いほどに甘く、そして恐ろしく、ルークを苛み、震わせる。
身動きも出来ず、息さえ潜めて立ち尽くすルークの目の前に、困惑したようなアッシュの顔が近づいて来る。キスされると思って慌てて目を閉じたが、慣れた感触は唇ではなく、頬に触れた。
「……泣くな」
低く擦れた声がかろうじて耳に届く。アッシュの腕が優しく背に回される。
こんな風に優しくあやされて、泣くなと言われて、本当に泣き止める人がいるなら会ってみたいとルークは思う。
アッシュの唇は、頬に、瞼に、顎に。いつまでも優しく、どこまでも愛おしそうに、何度も、何度も触れ、涙を拭い続けた。