愛の祝日 1話

 世の中に数多い祝日の中でも、シルフデーカン十四の日『預言者ウァレンティヌスの祝日』は最も世界中が華やぐ祝日の一つと言っていいだろう。

 ここケセドニアも例にもれず、どこか浮き足立ったような明るい、浮ついた空気が漂っている。菓子店、宝飾店、飲食店がこの日のために新作、新メニュー、特別なコース料理を発表するだけではない。武器屋が贈り物としても見劣りせず、実用性もある美しい守り刀を打てば、防具屋も負けじとまるでドワーフの細工品のような、鑑賞にも耐えうる一点ものの鎧を造り上げたりする。
 ケセドニアは近いうちに独立を果たすのではないかと言われる、経済の中心地でもある。良いものだけではなく、新しいもの、珍しいものも集まりやすく、また受け入れられやすい。それを目当ての観光客も祝日前は多くなり、ますます街は活気づくという案配だった。

 このように浮ついた時期のケセドニアでは、罰金、保釈金で片がつくような軽犯罪は普段より増えるが、大きな事件はあまり起こらないのが常なため、被験者とレプリカがらみの事件が起こるたび調査に出動する特務師団でも、かなり前から潜入捜査を行なっている数人が不在なだけでなんともまったりとした空気が流れていた。資料を読んだり、書類を書いたりという仕事をこなしつつ、話題になるのはもっぱら祝日の過ごし方についてである。

「閣下、『預言者ウァレンティヌスの祝日』の準備はもうされました?」
「ああ」
「宿舎で過ごされるんですか?」
「いや、まさか」
「じゃ、どっかレストランとか? 予約取れました?」
「ああ」
「さすが手抜かりないですねー! どこです?」

 万事に抜かりのない師団長が、まさか目当ての店の予約を取り損ねているとは思いもしない団員たちだったが、店の名を聞くとさすがに騒然となった。

「ええっ、どうやって?!」
「よく取れましたね! 数ヶ月先まで予約埋まってるっていうのに!」
「ああ……まあ。去年ルークが押し掛けてきてからすぐに入れといたからな。──言っとくが、その時点で残り一席になってたんだから、気の早えのは俺だけじゃねえぞ」
「すぐにって、ほとんど一年近くも前じゃないですか!」

 悲鳴じみた声に改めて指摘されると、さすがに少々気恥ずかしく、アッシュはふて腐れたように顔を背けて、意味なく書類をめくってみたりインク壷を押しやったりして、机の上を片付けるふりをする。
 ルークと住むことになって、ちょうど家族用の宿舎に引っ越したころ、アッシュが言わば死んでいる間に新しく出来たその店のことを知った。料理も値段も一流で、予約を取るのが難しいという話だったが、ルークが喜ぶのではないかと問い合わせてみたら本当に随分先まで予約で埋まっていて、ルークの二度目の誕生日にも間に合いやしない。だが、ほんのわずか先に、ウァレンティヌスの祝日があった。そんなに先まで埋まっているのなら祝日など到底無理かと思ったが、試しに聞いてみるとまだ二席『も』空いているということだったので、それなら、という流れで席を確保したにすぎないのだ。
 この日のために、わざわざ気合いを入れたわけではないのだが、どうせ彼らは信じたいことしか信じないのだし、今やアッシュも祝日をそれなりに楽しみにしているので、言い訳をする気にはなれなかった

「気が早いって、好きな人と一緒に過ごす初めての祝日なんですから、そのくらいの準備当たり前ですって」
「そうそ。人気店では一年前の予約なんて常識ですよう〜! 知らないんですか~?」
 だが男性団員と違って、女性団員にはまた違う意見があるようで、不用意な発言をしたものは女性たちの蔑視に晒され、肩をすくめた。
「こういうところが出来る男とそうでない男を明確に分けますよね~先輩」
「そうね。あーあ、閣下もご自分のレプリカに執着してる変態じゃなければ良い線いってるのに!」
「閣下は見た目でも結構損してますよね。元は同じはずなのに、なんかキツいんですもの。こういう顔立ちが好みなら、女なら誰でもルークさんの成長を待ちたいところですし。だけどこう、キメて欲しいところできちんとキメられる、いい男の条件は満たしてます。こういうとこ知れば、紅薔薇白薔薇の二人も閣下を毛嫌いしないでいいところに気付くのかも知れないのに……」

 一体いかなるところで自分の気持ちが筒抜けになったのか、ルークと同居を始めて以来この手の暴言に晒され続けたアッシュには、すでに免疫が出来ている。だが最後の一言は聞き流せなかった。口うるさい神託の盾のお偉いさん、と自分のことを毛嫌いしている被験者とレプリカ、二人の女を思い浮かべ、アッシュは比喩ではなく身体をぞぞっと震わせた。
「冗談でもやめろ! ──まさかと思うがあの二人、祝日にもめ事なんか起こしやしねえだろうな」
「あの店、祝日は予約で一杯ですから大丈夫でしょうが……。最近二人が気にしている男がまたもかぶっていますし、どうでしょうね」
「またなのか!」アッシュはうんざりと天を仰いだ。「なんだってあいつらは毎度毎度惚れる男がかぶるんだ。被験者とレプリカといえど、違う人間だろうが……」
「好みの相似は被験者とレプリカの宿命ですからねえ」にやにやしながら成り行きを見守っていた団員が苦笑して肩を竦める。「もっともあの二人に言わせれば、閣下の方こそ理解しがたいオナニー野郎、ってことですけど」

 部屋のあちこちでぷっと吹出す声が起こり、アッシュは憮然と口を閉じた。あの二人には口で勝てる気が全くしないのである。何かと腹立たしい二人だが、ルークのことは可愛がっているようなので、振り上げた手を下ろす場所に困り、二人に対する態度も評価も決めかねるアッシュなのだった。思えば白薔薇──中身を知れば知るほど失笑してしまうのだが──レプリカの娘の方はルークより七歳も年下であるのに、これが刷り込みの有る無しの差なのか、ルークは彼女をまるで世話焼きのお姉さんのように見ているし、彼女は彼女で、目の離せない弟のようにルークを見ていることが、傍からは丸わかりだった。
「ルークさんは何か準備されてらっしゃるんですか?」
「……チョコレートの大袋のほか、カードを級友の人数分用意しているようだ。全部手書きで、少しずつだが、楽しそうにやってる」
「大袋のチョコ!」
「配った配った」
「カード用意するのが面倒で仕方なかったが。あれは人気度の指標でもあったしな」
「級友分とは、やっぱりルークさん人気者なんですね〜」

 家庭教師に学ぶ貴族、王族の子弟とは違い、多くのものは学校で学ぶ。貧しいが学ぶ意欲のあるものは、学費のかからない軍の幼年学校へ入るのが普通だった。ダアトは国家とは言えないし、神託の盾も厳密には軍とは言えないが、入団したいものが学ぶ学校を持っている。
 オールドラント全土を見回すと就学率は十割ではないが、少なくともここにいるものは何らかの教育を受けているはずで、ひとしきり子どものころの思い出話に各自花を咲かせた。
「閣下もバチカルを出られてからは学校に通われたんですよね? 懐かしくないですか」
「ああ……まあ。雰囲気はな」
 だがアッシュは、屋敷を出て以降は世を拗ねて過ごしたため、そんな祝日を一度も楽しんだことがなかった。
 彼の生い立ちを承知している団員たちはそれだけで全てを悟ったらしく、「残念ですね」という返事が一言だけ返された。それには同情も憐憫も含まれてはいなかったので、アッシュもそうだな、と素直に頷いた。

 世界中の人々が愛を、愛する人のことだけを考えて過ごす『預言者ウァレンティヌスの祝日』。その日まで何事も起こりませんようにという願いは、アッシュだけのものではなく、すべての人々の願いでもある。
 小さなもめ事は相変わらず絶えなかったが、大きな事件は何も起こらず、実に平和にアッシュとルークはその日を迎えた。


(2012.02.14)