【07】


 手に持った譜銃をくるくる回しながら、アッシュはひどく憔悴したようすで川に入り、血を洗い流しているルークを見つめた。
 ルークの手首を縛っていた縄は一旦解いてある。だが本当は、銃口など向けていなくとも、彼が逃げたりしないということはわかっていた。逃げるどころか、ルークはアッシュに服を剥かれ、川に追い立てられたままで、身体を洗うでもなし、ただぼんやりと立ちすくんでいるだけだ。

 アッシュは唸りながら大きなため息をつき、真紅の頭をかきむしった。
 最後のやり取りで、ルークの身分がわかってしまった。『キムラスカ王直属の暗殺部隊』を動かしたのが『父上』なる人物であるなら、その身分は王の息子、つまり王子ということだ。アッシュは残念ながら他国の王族に明るくはないので、彼が何番目の王子だとか、嫡子か庶子かとかそんなことはわからないけれども、確かにそれならば自分で言うほど身分が高いわけだった。

 もう一度ため息をついて、ようやくのろのろと腕を動かし、肌をこすり始めた少年を見つめた。真っ白な肌に鮮やかな朱の髪が眩しいほどだった。それなりに鍛えてはいるのだろうが、これからようやく青年期へ入ろうという時期の未成熟な身体は、こちらに背を向けていると到底己と同じ性の生き物とも思えず、そのうちひしがれたさまは艶かしく男の最も愚かな部分を刺激する。

 アッシュは譜銃を指にかけたまま、河原に仰向けに倒れ込んだ。
 ルークがただの貴族なら良かったのに……。それならば身分に応じた幾許かの身代金を国元の親族に送ってもらうことで、いずれキムラスカに帰国することが出来ただろう。アッシュも当然そうなるものと思っていた。
 だが、その身分が一国の王子となれば……。
 途中で和平が成ればいい。簡単に国へは帰れまいが、人質となっても生きる道は残される。恐ろしいのは、キムラスカがダアトによって完全に敗北を喫した時だ。──ダアトは、征服した国の王族など決して生かしてはおかないだろう。

 俺には関係ない。そもそも俺は、貴族とか王族とかいった連中が嫌いだ。これまで散々良い思いをしてきたんだから、死ぬ前に俺の役に立ってくれたっていいはずだ。なに悩んでんだアッシュ。あいつを連れて行くことで、どれだけのものが与えられるか、それを考えろ……。

 固く目を閉じて、そう思い込もうと努力する。が、そう言い聞かせれば言い聞かせるほど、脳裏に浮かぶのは、初めに相対したときの鮎のような身のこなし、魚を獲るアッシュを見て子どものようにはしゃいでいた姿、弟のことを語るときの寂しく凍えた横顔、火傷を負ったときの泣き顔など、捕虜のくせにどこか解放されたような、開けっぴろげで自由な姿だった。

「アッシュ?」

 ふいに目の前が陰り、アッシュは驚いて目を開けた。濡れた前髪の先から水滴を滴らせたままのルークが、心配そうにアッシュを覗き込んでいた。
 アッシュは不機嫌に唸り、再び目を閉じて手の甲で両目を覆った。こんなに接近されても気付かなかったことが信じられない。だがその隙を突いてアッシュを倒すのなら、声などかけるはずがないと、いや、そんな真似をするようなやつじゃないだろうという思いと、どこか投げやりな気持ちが、敵国の捕虜の前で無防備に目を閉じさせたのだ。
「どっか具合……悪いのか? あいつらの剣にかすったりしてねーよな……?」
「ああ。してねえよ」
 ほらな、やっぱりこいつはこういう甘いやつなんだ……。

 その穢れない真っ直ぐな気性と育ちの良さに思わず苦笑を漏らし、目を開けると、目の前で明るい翠の瞳がほっとしたように細められた。
 その瞳は、アッシュの瞳を、心を、魂を。
 ──揺さぶり、搦め取る。


2011.11.12の日記