【01】


 師は利用価値半分、弟子への情け半分と言うところで『預言』という死の顎から彼の命を救い出そうとしていた。

 彼はすでに、救われたいとは思っていなかった。
 望みは、好きな死に場所を得、好きな死に方をすることだ。

 国のために耐えよと言われ、キムラスカ貴族としての誇りだけをよりどころにおよそ二年の間苦痛に耐えて来た。その間に彼が悟ったことといえば、自分は城内で飼われる犬よりも軽んじられているということだ。呼吸をしてさえいれば、目が見えずとも、音が聞こえずとも──例え四肢が失われても、構わない。それが、キムラスカ・ランバルディア王国における彼の扱いだった。玉座の間に秘預言が持ち込まれたとき──いや、新たな千年紀を迎える年に真紅の髪を持って生まれ落ちたそのとき、彼はすでに貴族でも、ファブレ家の子どもでもなかったのだ。

 科学者たちも、初めは違った。
 ローレライの完全同位体であり、超振動の使い手でもあるその能力と身体を調べ尽くすよう命ぜられたものの、実験体は自国の公爵の子息、しかも降嫁した王妹の生んだ子どもだ。実験動物と同じように取り扱うわけにもいかない。科学者たちは彼にどう接したら良いかわからず困惑しきっており、丸二時間近く彼を放置して話し合った末に、おずおずと遠慮がちに協力を頼み、ようやく触れることが出来たのだった。
 彼らはまるで玉体の健康診断を行うかのように恐縮しながら彼の身体や能力を調べ、さまざまな実験を行った。たまに加減を誤って傷を負わせてしまえば哀れなほど青ざめ、平身低頭していたものだ。
 だが、立場と言うものを弁えすぎた可愛げのない傲慢な子どもは、痛みを感じているのかいないのか、眉をひそめるだけで呻き声すら漏らさない。一度たりとて、息子の負った傷に対して公爵家から抗議がくることもない。
 きっとそんなことの積み重ねが、少しずつ、少しずつ、実験体の人としての尊厳を慮る気持ちを失わせ、心を蝕み、歪ませてしまったのだ。

 実験は、痛めつけるのが目的なのではないかと疑いたくなるような陰惨なものになっていき、彼は次第に表情を取り繕うことが出来なくなっていった。
 身体は手足を括り付けられた不気味な椅子の上で、何度も痛みに跳ねる。苦痛に顔を歪め、荒い呼吸を必死に鎮めようとしている彼を見て、科学者たちの顔は仄冥い愉悦と興奮にますます歪んでいく。

 彼はまるで、自分が囚人にでもなったかのように感じた。汗に曇った視界の向こうで嗤っているのは、差し詰め拷問吏か。
 だが、際立った反応のない彼をいたぶるのにも、彼らはやがて飽いた。
 実験は、何を調べているのかも判然としないおざなりなものになっていき、苦痛を感じることも少なくなったころ、彼は触れる手に微かな悪寒を感じるようになった。

 その理由は、ほどなくして判明した。
 思いつく限りのことを調べ尽くし、もはや彼らは研究対象としての彼の身体には倦んでいた。
 だが彼らは、彼をいたぶる別の方法を見つけたのだ。

 彼の幼い性器は、研究者たちの無機質な手で、明確な意図を持って弄り回されることになった。精通すらきていない、未成熟の器官を擦り上げられるのは、快感よりも痛みとおぞましさをもたらす。いかにおぼろげな知識しか持たないといっても、その行為には常に背徳感と酷い恐怖がつきまとった。
 彼は実験の開始から実に二年近く経ったそのときになって、初めて止めてと泣いた。二年前であったなら──彼の力の仕組みに純粋に取り組んでいたころなら、男たちも公爵家の報復を恐れ、手控えもしただろう。しかし、彼に触れる手がその意味合いを変えていては、その泣き顔は逆に彼らを煽るばかりのもの。

 そしてなにより──彼が公爵家から見捨てられた子どもであることを、彼らはとっくに見抜いていた。

 ただ……ただ堪え難い痛みを与えられるだけならば、彼は耐えもした。あるいは父に訴えることも出来た。
 だが、今彼が受けている屈辱は、人に知られることこそが屈辱だった。まして父や母に知られることは、他の誰に知られるより恐ろしかった。なにより──訴えてもなお、助けてもらえないかもしれないことが怖かった。
 彼は研究所でなにをされているのか、一言も父に話したことがなかったし、尋ねられたこともない。父は彼に無関心だ。王城の科学者に提出する書類の枚数が揃ってさえいれば、何が書かれていようが気にしなかっただろう。彼がどのような扱いを受けているのか、全く気にしないのと同様に。

 彼は結局、このことも父に話さず、小さな胸一つに収めた。

 月に一度、彼は父に連れられ、ベルケンドの研究所へ向かう。父はそのまま愛妾の待つ館へ向かい、王から押し付けられた気の置ける妻と懐かない子どもから解放された楽しいひとときを過ごすのだろう。
 その間、彼は男たちに全身がふやけるほどに舐めしゃぶられ、身体中の穴と言う穴に舌を入れられていた。
 嫌悪と恐怖しか感じない行為に未成熟な性器はなかなか反応しない。だが男たちは、彼がこの行為を楽しんでいるから公爵に言わないのだろうと嘲笑した。屈辱に唇を噛み締める彼をからかいながら、ある者は性器を口に含んでじゅるじゅると吸い上げ、またある者はおぞましさにのたうつ小さな身体を押さえつけて、後孔を指でこじ開けようとした。
 心を置き去りにされたまま、無理矢理に剥かれて真っ赤になった性器は擦り上げられ舐られ続ける。痛みと、屈辱と怒り。そして絶望の狭間から、次第にゆるゆると別の何かが立ち上がってくる。現実逃避のために彼はその未知の感覚に飛びつき、追い続けた。汗と涙の幕が厚く張った視界では、男たちの会心の笑みに彼が気付けようはずもない。ついにその日、彼は長い悲鳴とともに汚濁を噴き上げた。初めての吐精だった。
 楽しげに歓声をあげる男たちのおぞましい手を、白く濁った粘液が濡らす。それを見て、彼は初めて、自分が決して縋ってはいけないものに縋ってしまっていたことを気付いたのだった。

 彼はその日、彼の精神を痛めつける卑猥な言葉の雨を浴びながら、腐り続けていた自分の体がぐずり、ぐずりと崩壊してゆく、湿った音を聞いた。

 もはや、最後の一線を彼らが越える気になるまで、一刻の猶予も残されていなかった。彼の幼さゆえに、獣のような男たちにも少しばかり躊躇する人の心が残されていたのだとしても、彼の感じた快楽の証を目にするまでだっただろう。男たちは彼の尻の穴を拓き、欲にまみれた肉の棒を突っ込んで擦りたて、その胎内に汚らしい汁をぶちまけたいと望んでいた。

 疲れ果て、絶望し、何もかもを終わらせてしまおうとしていた彼が、それでも師の手を取って少しばかり寿命が延びるのを己に許したのは、己の死を詠んだ秘預言を知ったためと、なにも知らない優しい母のためだった。師は彼からもう一人の彼を造り出し、それを屋敷へ戻そうと言う計画を立てていた。その計画が成功すれば、病弱な母には子どもを与えられ、彼は自由を得ることができる。
 自由を求める気概などとうに尽きていたが、死に場所くらいは自分で選びたかった。穢れた自分に相応しい、冥く淀んだ沼の淵に身を沈める想像は、ひどく甘美に彼を誘う。あるいは反対に、美しい森の奥の木漏れ日の下で、朽ち果てるまで仰臥していてもいい。虫や獣が、そこに醜い子どもがいたことを隠してくれるだろう。──ああ、人生の最後に一度だけ、空を飛ぶ鳥の気持ちを味わってみるのもいいかも知れない。

 あの高貴で陰鬱な館の中で騒がれながら死を迎えるのも、腐れ切ったおぞましい死骸を人の目に晒すのも、彼には堪え難いことだった。

 レプリカには可哀想なことだが、十八年で終わる予定の人生の半分以上を自分が受け持ったのだから、残りの八年はもう一人の自分が持ってくれてもいいような気がする。陵辱がもっと──進んだ段階のものになってしまったら、レプリカも耐えられなくなるかもしれないが、そうしたらまた師に次のレプリカを作ってもらうよう頼んでおこう。自分は二年耐えた。だからみんな、それくらいずつは耐えられるはずだ。なんと言っても自分のレプリカなのだし。
 そう思っていた。

 出来上がったレプリカを、師が見せてくれた。これからこれが屋敷に戻り、お前の代わりに愛されるのだと耳元で囁かれ、彼は失笑した。あそこにレプリカを──彼を真実愛するものなどいるはずがない。いや、母だけは愛してくれたかもしれないが、同じくらい自分の身体のことで精一杯だ。なんの力にもなってはくれない。
 彼を、何不自由のない愛された公爵子息だと思い込んでいる師の健全さ、無邪気さが微笑ましかった。それは彼の忍耐と努力が報われた証拠でもあるが、このレプリカが向かうのはそんな優しい世界ではない。

 巨大な硝子の円柱に横たわる裸のレプリカを黙って見つめていると、その目がくりっとこちらを向いた。まるで赤ん坊のように、痩せた細い腕がぱたぱたと空を掻く。
 彼ははっと息を飲んでレプリカを見つめ直した。レプリカは目を逸らすことなく、純粋な興味を持ってまっすぐに彼を見つめてくる。
 ふらふらと吸い寄せられるように作られたばかりのレプリカの傍に寄って行った。その視線が、彼の顔を追うように一緒に動いている。
 淡い音素灯の光に、その瞳がきらきらと煌めいた。
 まるで、陽光にかざした貴石のように──。

「顔立ちは瓜二つだが、やはり劣化は避けられなかった。髪の色や能力は残念ながら劣化してしまったようだな。ごまかしはきく範囲内だと思うが……」
「劣化……?」
 師は失望を隠すことなく、道ばたの石ころを見るような目でレプリカを見ているが、彼にはとてもそうは思えなかった。白桃のように白く瑞々しい肌は、舐めれば滴るような果汁の甘さが味わえる気がした。それに、なんと澄み切った美しい瞳だろう。穢れ、濁った彼の瞳とは比較にもならない。透き通った白目は薄く蒼みを帯び、翡翠の瞳は彼のものよりなお明るく、無垢な光に輝いていた。なにより素晴らしいことに、このレプリカは、まだまっすぐに人の目を見ることができるのだ。彼はその目を見つめ返すのにも苦痛を感じ、体中が震え始めているのに。

 まるで、彼の中にまだ少しだけ残っていた綺麗な部分を、すべて取り出して形にしたようだった。
 汚泥の詰まった革袋にすぎない自分の中に、綺麗なところがまだこんなにも残っていた──。

「すごく……きれいだ」

 穢れのない美しいものに、まだ感動できる心が残っていてくれて、良かった。
 すべてが取り返しの付かないほど穢されてしまうまえに、これだけのものが救い出せたのは、間一髪の奇跡だ。
 彼は触れてみたいと言う衝動のままに、硝子の扉を開けてレプリカの傍にしゃがみ込んだ。震える指を恐る恐る伸ばしたが、その頬に触れる前に、彼はぴたりと動きを止めた。彼の身体はどこもかしこも穢れ、酷い腐臭を放っている。こんなに美しいものが彼の身体から出たのだから、彼の身体にはもう、綺麗なところなど一つも残っていないに違いない。触れたら、レプリカの神々しいほど白い肌に、拭いようのない黒い染みを付けてしまう。
 レプリカの目は、目の前に翳されたままの指を興味深そうに見つめている。

 次の瞬間、レプリカはその柔らかな手で、彼の指をきゅっと握った。


(2013.12.12)