Vivamus,atque amemus 03

「これ、指輪……?」
「遅くなって、済まない。本当は、婚約時に右の指に贈り、結婚と同時に左手に付け替えるものなんだが……そんな時間もゆとりもなかったからな。それは、出来ればずっと外さないでいて欲しい。……お前が人の妻、俺のものだと、俺以外の誰のものにもならないと、宣言するためのものだからな」
「アッシュ……う、うん、分かった。外さない。絶対、外さない」
 ルークは濡れた指輪に自分もキスをして誓った。
「これを」
 アッシュがルークの手のひらにもう一つの指輪を落とした。ルークのものよりもかなり大きい。すぐにアッシュのものと悟り、ルークははにかんだように笑った。
「アッシュは私のもの? 私以外の誰のものにもならない?」
「そうだ。──今は裕福な商人や軍人の間でも習慣化しているというが、元々は貴族や王族の風習なんだ……ああ、左手の薬指に」
 アッシュの指輪は、第二関節で一瞬ひっかかり、付け根に落ちた。
「……お揃いなんだね」
「ああ。──本当はでかいダイヤが付いてるもんなんだが、わりいな、さすがにそんな金はねえし、俺もお前もそんなんじゃ生活の邪魔でしょうがねえから、実は裏に小さいのがいくつか埋め込んである」
「えっ、ほんと?」
 驚愕して指輪を外して確かめようとしたルークの手を苦笑して掴み、「後でな」と囁いて「今見たい」と抗議の声を上げるルークの唇を塞いで逃げる舌を絡めとると、諦めたように腕が背に回された。

 昼間でも薄暗い部屋の中でルークの体から最後の一枚を取り去ると、翼をもがれた天使のように、真珠色に輝く真っ白な体だけが残った。豊かな乳房を隠す銀朱の髪と潤んだ翡翠の瞳、微かに開かれ、熱い吐息を漏らす唇だけが、鮮やかな色を見せる。そして緩やかなふくらみを見せる腹。
 こんなに美しく無垢なるものは、他に無いとアッシュは思う。込み上げる欲望と相反する聖なるものを穢してはならないという思い。振り切るように手を伸ばして、少し重くなったように感じる乳房を持ち上げる手は震えていた。助けを乞うようにルークの左手を握りしめると、震える指にルークのか細い指が絡められる。いつも彼を救い上げてきた手が──。




 狭く閉じた場所を押し開くようにアッシュがゆっくり入っていくと、ルークは絶え入るような吐息を漏らした。
「きついか」
「ううん……気持ちいい……」
「腹が張ったら、すぐに言えよ」
「うん……」
 いつものように激しく突き上げるのではなく、まるでルークを揺すってあやすように、アッシュはゆっくりと一番深いところから浅いところへ動いた。ルークもぎゅっと目を閉じて、短い微かな喘ぎを漏らしながら、全身でアッシュを感じようとしていた。急激に上り詰めるような強い欲望でなく、二人で快楽の波にたゆたうような……。

 ぽろりとルークの閉じた目から涙が転がり落ちたのを見とがめて、アッシュが動きを止めて、ルークのこぼした涙を指で拭き取った。
「なんで泣いてんだよ」
「幸せだから」
「……?」
 困惑して眉を寄せるアッシュに、横顔を見せたまま薄目を開けて、ルークは零れる涙をそのままにうっすらと笑んだ。

「幸せだから」

「嬉しいから」

「気持ちいいから」

「愛してるから」




 涙が出るんだよ。




「……そんなことで、涙が出るもんなのか?」
「多分。──女はね」
「……変わってるな」
 くすりと笑って、ルークは上体を捻り、アッシュの首に腕を回して柔らかく引き寄せた「ね、動いて? もっと、もっと──お前を感じたい、よ……」
 互いがゆっくり。
 ゆっくりと上り詰めるまで──。








 恥ずかしいから早朝に出るとルークが言うのに合わせ、やはりうちではないからかあまり熟睡した形跡のないアッシュが珍しくルークを起こし──たのは起きぬけに隣室から聞こえて来た物音に煽られたせいなのだが──身支度を整えていると、ルークがアッシュの腰に腕を回して、真新しい剣帯を付けた。剣を付けようとしたとき、金具に何か小さなものが通っているのに気付き、持ち上げる。
「……これは」
「えへへ……私もアッシュに用意してたんだ。ごめん、釦なんて、嘘。これは色んな危険や病気からお前を護ってくれるお守りだと思って、外さないでずっと付けていて」
「──翡翠か」
「そう」
 気に入ってくれたかな、とアッシュを窺うと、アッシュは照れたような、だがどこか懐かしそうな目でそれを見つめ、指先でそっと撫でた。
「お前の瞳の色だ」
「おじさんもそう言っていたけど……私はお前の目の色だと思うんだけどな。昔アッシュに貰った薬瓶の色みたいでしょ? 気に入ってたのに、荷物ごと失くしちゃったんだよね……」
「ああ、そう言えばお前はそう言っていたな」
 ちょうど同じことを思い出していたアッシュは、思わずルークがどきりとするような、男らしい、だが優しい笑みを浮かべて頬に触れた。滑らかで柔らかい頬を撫で、唇を撫で、キスを落とした。
「あの時、確か俺は、お前の瞳の色に似ていると思って、衝動買いしたんだった」
「そうなの?」
 アッシュは答えず、低く笑い声を漏らしてルークを抱き寄せた。

 お前の瞳が俺を見守り、護ってくれるというのなら。

「……何の神に祈るよりご利益がありそうだ」




 ルークは再びアッシュの背中に隠れるように宿を出て、家路に付いた。アッシュなどは逆に堂々としていた方が誰も不審に思わないのに、と思うのだが、それが分かっていても出来ないのがルークの可愛いところなのだろう。
 早朝から店や露天の準備をする人々は多いが、彼らはその界隈から出てくる男女などもう見慣れて珍しくもないようで、特に二人に気を止めるものはない。時折偶然ルークの顔に目がいった男達がぽかんと見とれるのをアッシュが視線だけで潰しているのにも気付かず、ルークはどこかぽやんとした顔をしている。この界隈でその顔を見る限りは「事後」であるのがまるで明らかで、そこがまた行き交う男たちのあらぬ妄想を掻き立て、好色な笑いを浮かべてルークの顔を覗かせてしまうのだが、これは完全に隣室から聞こえる声に煽られたアッシュの自業自得と言うより他は無い。

 市街地の中心まで戻ってくると、アッシュはようやく肩の力を抜いてルークを見下ろした。ルークは明るいところで改めて細かな細工の施された指輪の嵌った華奢な指を、日に翳すようにしてうっとりと見つめている。
「……すごく綺麗。それになんて細かい細工なんだろ……。アッシュ、無理してくれたんじゃない?」
「巨大なダイヤほどじゃねえよ」

 ──だが、どれほどの財力があったとしても、ルークの指に巨大な石の付いた指輪を贈ろうとは思わなかっただろう。まるで指の先にまで気を配らなければならない舞を舞うように針を運び、料理を作り、そしてアッシュの肌の上を滑らかに辿るその華奢な指に贈るのは、彼女の手をより美しく見せるものでなければならない。決して指輪が主役ではならなかったのだ。
 短気で合理的なアッシュには珍しく、これに関しては一切の妥協無しで長い時間をかけて宝飾店のデザイナーと打ち合わせを繰り返した。小振りだが質の良い同じ大きさのダイヤを揃えてもらうことにも時間がかかったかも知れない。方々に手配の手を伸ばしてもらっても半年近く揃えることが出来なかった。内側に必ず彫り込むことになっている祈りや願いの言葉を考え、眠るルークの薬指に指示通り紐を回してサイズを測ったりとやることは多かったが、先祖から受け継いだものではなく、自分だけの力で最愛のものへ贈る指輪を用意するのは楽しくもあり、誇らしくもあった。
 シュザンヌはこのことをずっと心配して、指輪はどうなっているのかと何度も手紙に書いて来た。息子の矜持を慮ってかなり遠回しにではあったが、こちらで用意してもいい、と書いて来たこともある。
 だがこれで、毎度毎度、まるで小説の束のような長大な手紙をバチカルに送っているルークが、きっと二人を安心させてくれるはずだ。
「ありがとうアッシュ。私、うんと大切にする! ……それに、アッシュとお揃いのものなんて初めてで……すごく、すごく嬉しい……!」
 喜ぶのはそこなのかと苦笑してルークを見下ろしたとき、輝くようなルークの笑顔が真っ直ぐにアッシュに向けられた。

「…………!」

 その顔は、喜びと、愛と、自信とに溢れ、今はもう、次々に移ろう『ルシファ』の表情にかき消されて遠くなった、『ルーク』の顔を彷彿とさせた。

「どうしたの?」
「いや……」
 不思議そうに下からアッシュの顔を覗き込むルークを、アッシュは眩しそうに見下ろした。「──いや。子どもが産まれる前に渡せて良かった、と」
「そう?」
 剣士であったころの名残であるのか、二人並んで歩くときにはアッシュの左側に来たがるルークの右手を、アッシュはそっと握り、指をルークの指に絡めると、きゅ、と力を入れてルークが握り返してくる。
「お腹、空いたねー」
 ほんのちょっぴり頬を染めて、ルークが照れ隠しのように囁いた。
「そういや昨日の夕方から何も入れてなかったな。お前の体には良くねえのに……何かそこら辺で食って帰るか? 市場へ行けばもう開いてる店も多いと思うが」
「ううん。アッシュは大丈夫?」
「俺はな。だが……」
「それなら、うちへ帰って食べよう? すぐに何か作るよ」
「お前、疲れてねえのか」
「疲れてねーよ?」
 アッシュの口真似をしてルークが笑い、手を繋いだままでアッシュにもたれた。
「あのね。あの……。ご飯食べたら、もう一回、いいかな……」
 赤い顔をして恥ずかしそうにねだられた言葉の意味が分からないアッシュではない。いつもなら「何」が「もう一回」なのか、はっきりと言うまで意地悪く知らん顔することが多いのだが、今朝はそんな余裕もなく、アッシュは立ち止まって身を屈め、ルークの先まで赤くなった耳にほとんど唇をつけるようにして囁いた。
「俺も今すぐ欲しい。……今朝も抱いたのに、なんだか疼いて仕方ねえ……食事の前でもいいか?」
「──っ、そ、そ、それだと、ごはん作れなくなるかも知れない、よ?」
「構わねえ。俺が用意する。ここんとこお前にばかりやらせてたんだし、たまにはいいだろ」
「ほんと? じゃ、じゃあ……うん……」
 ルークが昔からこんな赤面性であったのかどうかアッシュには憶えがないが、おそらく日に焼けない真っ白な肌のせいでそれが且つてより目立ってしまうのかも知れない。
 自分以外のものにちょっと見せられないくらい、眉尻の下がった真っ赤な顔は可愛らしくもあり艶冶でもあり、アッシュは苦笑してルークの肩を再び抱き寄せ、ルークがぎゅっとアッシュの胸に顔を押し付けて隠すのに安心して、再び家路に就いたのだった。







 立ち上がれないほどクタクタに疲れたルークのために、アッシュがベッドまで一口サイズのシュリンプサンドを運んでくれた。船を漕ぎながらなんとか腹に収めるなりそのまま眠ってしまったようで、すっかり薄暗くなっている外の様子にルークは目を見張った。
 どうやら、せっかくのレムの休日はほとんど眠って終わってしまったようだ。
 アッシュはというと、これもぐったりした様子で、相も変わらず窒息死が心配される格好でルークにしがみついて眠っている。片腕で強くルークを抱き寄せ、残る片手は軽く握られて胸に添えられていた。
 抜け出ようとすると腕に力が入るので、諦めてまた枕に頭を落とす。別に、どうしても起き上がりたいわけではなかった。

 天上を見上げてぼんやりしていると、指輪のことを思い出し、左手を翳してみた。ねだったのではなく、アッシュが自分で選んで用意してくれたのだと思うと嬉しさのあまりどうしても笑みが浮かんでしまう。
 ふと、アッシュが言っていたダイヤのことを思い出して指輪を抜き取り、内側を覗き込んで見ると、沈みかけた最後の薄明かりにきらりと光るものがある。数個の小さなダイヤが等間隔に並んでいるようだった。
「あれ……? 何かある。……なんだろ」  輝きがあるわけではないが何か付いているような気がして、ルークはごそごそと身動きし、ナイトテーブルの上の音素灯の明かりを付けた。背を向けているし、こんな明かりで起きやしないと思いつつ一応アッシュを窺ってみるが、まるで起きた様子がないことに安心して、内側を覗き込んだ。

(何か、刻んである)




『Vivamus,mea Luke,et in saecula saeculorum.』




(──あ)

 オールドラントに帰還して以来、いや、その前から、手痛い失敗を反省して古代イスパニア語を学んで来た。このくらいの短い文面ならば、辞書を引くまでもなく──。

 指輪を薬指にはめ直し、滲む涙を拭ってルークは明かりを消した。足を絡ませて、胸元のアッシュの頭を抱え直し、頬をすり寄せる。するとアッシュが何か全く聞き取れない寝言のような声を出して、添えていた手で、胸をむにむにと数度、軽く押した。
 赤ん坊になった夢でも見ているのかも知れないと思うと、良き夫であろうと努力している日頃の姿とのギャップに口元が綻ぶ。
 結局、ぐずぐずと友人達に愚痴を漏らしていても、甘えられることが、甘やかすことが、ルークは嬉しいのだ。

「……ともに生きよう、愛しいアッシュ。いつまでも永遠に……」
 指輪に刻まれたアッシュの願いの言葉とキスとをひっそりと贈り返し、ルークは再びまどろんでいった。






 なんとなく私は、古代イスパニア語=ラテン語的なイメージでいるのでラテン語の言葉を探して継ぎ接ぎしてみましたが、「et」が必要かどうか悩んだあげくに付けたままにしてます。いらないよ、というご指摘お待ちしてます^^;
 KEI様ご希望の「日常のラブラブ」とは、ずれているような気がして仕方ないのですが……宜しければKEI様のみお持ち帰り下さい。(2011.07.02)