もう少しこっちのルークと話すから、というルークを置いて先に部屋に戻り、湯を使って荷物の整理をすませると、いつのまにかうとうとしてしまっていたようだ。柔らかいものが唇に押しあてられた感触に、アッシュは目を覚ました。目を閉じたまま両腕をのばし、そのまま身体の上に引き寄せ、抱きしめる。
「……ごめん。起こしちまったな」
「んー……何時だ……?」
「十一時まわったとこ」
胸元に抱き込んだまま半回転すると、キスをしてほおずりする。とたんに抗議の声が上がった。「いてえ! ざりざりする! もう、なんで剃らねえんだよ! 自慢かよ?!」
「まだ痛いほど濃くねえだろ」
「いてえって!」
いてえ顔寄せんなと言いつつ声は笑っている。前脚をつっぱってイヤイヤする猫のようなルークが可愛くてたまらず、ひとしきりざりざりしたあと、身体がきしむほど抱きしめた。
「……アッシュ」
「んー」
「おれたち、帰れるのかな……?」
アッシュは気付かれぬようため息をついた。はしゃいでいたのはどうやらから元気の部分もあったらしい。ルークは自虐的なほど自分が世界のために役に立たねばならないと思い込んでいるから、内心ではもとの世界に戻れないことに焦りを感じていたのだろう。
むっつりと黙ってしまったルークの髪をゆっくりと手櫛で梳いていると、落ち着いてきたのか、詰めていた息を大きく吐いた。
「なんか条件があるのかな。月の満ち欠けとか、時間とかさ……。夜明け前に行ってみる?」
「? なんで夜明け前なんだよ」
「そのくらいの時間にこっちに来たもん、おれ」
アッシュは手をとめて、ルークの顔をのぞき込んだ。「どこに?」
「洞窟前」
「俺もだ」
「えっ」
「俺は出現場所がずれたのかと思ってたんだが、ずれていたのは時間だったのか?」再び手を動かしながら、アッシュは少しの間ルークの言ったことを考え、頷いた。「一つの歪みに二つの出口……。一理あるかもな。一眠りして行ってみるか。だめなら明日、日が落ちてからだな。俺が来たのは多分七時くらいで、時間差はなかった。」
こちらの世界には出口しかない可能性もあったが、アッシュはあえて触れなかった。「両方だめならしばらく洞窟内で野営するしかねえな。ホーリーボトル買い込んで」
「うん」
「なら、シャワー浴びて早く横になれ」
うん、と頷いて、ルークはごそごそと服を脱ぎ始めた。いつもなら湯を浴びるついでに汚れた服ももみ洗いして朝まで干しておくのだが、時間的に余裕がないので汚れ物は小さくたたんでまとめ、荷物袋のなかにしまう。そしてそのままギシリと音を立ててベッドの上に乗ってきた。
「……シャワーは?」
「うん。でも、あとでいいよ」
なんの、と問うまえに、ルークはアッシュの身体を押して、仰向けに直すと身を起こした。上にずり上がってきて再びアッシュの唇に触れる。ざらざらした顎を舐め上げて顔をしかめ、喉仏を軽くくわえて吸い、鎖骨に吸い付いて今度は強く吸い上げた。ちりっとした痛みが走る。ルークは唇を離して作りたての赤い痕を確認し、指先で触れて満足そうに笑んだ。指はつうっとのど元まで戻り、胸の真ん中を下へ辿っていき、夜着代わりのシャツのボタンに止められると、おもむろにそれを外しにかかった。
「……一日一回の約束だっただろ」
思ってもみなかった展開に、日頃から暴走しがちな下半身はすぐに自己主張をはじめるが、アッシュは無いに等しい自制心を総動員して襲いかかるのをこらえる。
「三時間ちょっとしか寝る時間ねえんだぞ」
「一日くらい平気だって」
ルークは固すぎる胸や腹にやりにくそうに所有の証を刻みながら、少しずつ下に下りて行って、柔らかいズボンの上からかたちを確認し、下着をずらした。勢いよく跳ね上がったものが腹を打つのを見てルークは息を飲み、おそるおそるといった態で触れる。
「もう固い……」
「……好きな子が触ってるんだから、当たり前だろう。──一体どうした?」
「好きな子……」ルークの手が一瞬止まり、肘をついて上体を起こしたアッシュの目の前で、ルークの唇がむっと固く引き結ばれる。「お前、今日、洞窟ん中で、こっちのルークばっか、構ってた」
……マジか、とアッシュは目を見張った。真後ろに倒れ込んで、呆然と天井を見上げる。これは俗にやきもちとか悋気とか嫉妬とかいう──嫉妬だよな? まさかルークが、アッシュの構う相手に嫉妬心を抱くような日が来るとは。心のどこかで、いつかは失ってしまうものと密かに覚悟していたようだったルークが。
俺の関心が自分から逸れるのが嫌だと思ってくれたのか。自分だけのものでいてくれないと嫌だと、アッシュは自分のものなのに、と?
「……アッシュ?」
急に真顔になってしまったアッシュを、ルークが不安そうに見下ろしてくる。瞳に、アッシュ自身の顔が映っている。それがゆらゆらと揺れているのをみて、たまらなくなった。
ルークはアッシュのものだが、アッシュはルークのものではなかった──これまでは。ルークは何も所有したがらない。特に大切なものを。そういうものを持つことを、自分に許していなかった。
「アッシュは……おれのものだよな?」
不安そうな声が聞こえ、アッシュはやおら上体を起こすとルークを引きずりあげ、身体を入れ替えて下に組み敷いた。「ああ──ずっと前からな」
声が、滑稽なほどかすれていた。
噛み付くように口づけて、片手で道具袋の中を探る。目当てのものが触れず、苛立ちに唸り、アッシュは整理したばかりの中身をベッドにぶちまけた。
「アッシュ?」
邪魔なものを乱暴に払いのけ、香油の瓶を引っ掴む。どうしようもないほど呼吸が乱れ、荒くなっていた。いつもと様子の違うアッシュに、ルークが気遣わしげな声をかける。返事をする代わりに口で蓋をねじ開けると、そのままルークの胸の上に垂らし、瓶を放り捨てて油を広げるように手のひら全体になすりつけ、己の腹に触れるほど反り返ったものをしごくようにして塗り付けた。
「アッシュ!」
「すまん余裕がねえ。なるべく早く終わらせる。──つかまってろ」
いつもと違い、おざなりに馴らしただけのそこに性急に突き入ったとき、アッシュの喉から吠えるような声がほとばしった。
真円から少し欠けた月の光の中、アッシュとルークはこっそり宿を抜け出した。
「身体、大丈夫か」
息をひそめて宿を出て、真っ先にアッシュが問うと、ルークがうんうん、とうなずき、おずおずと手をつないできた。
「人、いねえし」
「……ああ」
無言のまま、二人は街を抜け、夜の草原を泳ぎ、森へ入って洞窟へと向かった。いつもならからかったり怒られたりとそれなりに騒々しい道のりなのだが、不思議と言葉が必要だと思わなかった。一度ちらりと顔をうかがったが、嵐に巻き込まれたように乱暴に抱かれて、痛い思いもしただろうに、ルークはなんだかにこにことかなりごきげんなようすだ。
アッシュはわけがわからず、狐につままれたような気分で歩き続けた。歩行困難になるほど酷い真似をしてしまったのではないらしいのだけが救いだ。
洞窟の手前まで来て、アッシュはふと耳をそばだてて後ろをふりむいた。
「アッシュも聞いた? 今なんか声、聞こえたよな?」
手をつないだまま来た道を眺めていると、上り坂を駆け上がってくる人影が二つ、頭の先から徐々に見えてくる。「ルーク?! ……と、てめえか」
「アッシュが、お前らが抜け出したようだっていうから。部屋行って、置き手紙みて、慌てて支度して走ってきた」ルークはうくっと息を飲んで説明したあと、深呼吸して息を整えた。「寝てる間にバイバイなんて嫌だもんな」
「歪みが見つかって元の世界に戻れたら、心配させると思って」ルークが申し訳なさそうに、だが嬉しそうに笑う。
こちらのルークがちらっとつながれたままの手を見た。離してやろうと手から力を抜くと、ルークの方からぐっと力を込めてくる。こちらのアッシュは怖いものを見るような目でその手を見つめたが、アッシュの期待はずれなことに、なにも言ってはこなかった。
一体、この二日三晩の間に、こちらのアッシュにいかなる心境の変化が起こったのか。
耳をおおうほど口汚くはあったが、洞窟に入ってすぐの戦闘で、こちらのルークに戦闘後の注意を与えているのはこちらのアッシュだった。指摘は的を射ているが、要所要所にののしり言葉が混ざっているせいで、こちらのルークはすぐには要点を絞り込めずにいる。馬鹿め、と愚かな被験者をひそかにあざ笑っていると、こちらのルークがふとアッシュに視線を向けた。彼の言ってることは本当? という問いかけの視線だったので、アッシュはことさら優しく言い直してやり、最後についでのように「コイツは簡潔にものを説明するのが苦手みてえだな。まとめるとそういうことだ」と付け加えた。
「わかった。次回から気をつける」こちらのルークは、自身の被験者の顔すら見ずに礼を言い、アッシュに対しては「ありがとな!」と満面の笑顔付きで礼を述べた。
アッシュは睨み殺さんばかりに向けられた視線に、大人げなく「ふふん」と嫌みな笑顔を向けた。ルークと目が合うと、困ったような顔を横に振られる。ルークに嗜められては仕方がないので、アッシュは肩をすくめて笑みを消した。多分、最初にルークに向けたののしり言葉が出なくなったのと、こちらのルークへの構い方の変化に、こちらのアッシュの心境の変化まで感じ取ったのだろう。ルークはどうやら良い変化だと思っているようだが、アッシュ自身は、ルーク違いと言えどまごうかたなきルークが、被験者なんかに引っかかってはならないと思ってしまうのだから仕方ない。
「アッシュ! あれ!」
弾んだルークの声に目をこらすと、一昨日の晩魔物と戦っていた場所に、空間の揺らぎが見えた。やはり時間によって現れたり消えたりする類いのものだったらしい。思えばあのときも突然出現したのだった。
「──帰るんだな」淋しそうなこちらのルークの声に、ふと胸が詰まった。これは、未だなき救いの訪れを待つルークだった。救いが必要だということさえ気付かずにいる……。
今回のこの不思議な出来事に、何者かの大いなる意思が働いているのなら、そいつは一体なんのために──誰のために、こんなことをしでかしたのだろう。
こちらのルークのためか。
それとも──アッシュ自身のためにか。
「アッシュ。──行こう」
歪みはいつ消えるのかわからない。急がなければならなかった。
アッシュは舌打ちをし、こちらのアッシュに近づき、ルークたちに聞こえないよう、声をひそめた。
「──頼む」
きつい目で睨み返してくる視線に、どのような意思が込められているのかはわからなかった。アッシュは少し目を潤ませたこちらのルークに笑いかけ、顎をすくって口づけた。巻き込まれないようすぐに押しやって、ルークの腰を抱えて歪みに飛び込む。
「てめえっ!!」
空間の狭間に飲み込まれる瞬間、こちらのアッシュの怒号が耳を打った。
──なんでてめえが怒るんだよ。
アッシュは目を閉じてしっかりとルークを抱え直し、笑みを浮かべた。