名を呼ばれて振り返るまえに、恐ろしいほどの力で肩を掴まれ、身体を反転させられた。長い真紅の髪が視界をよぎり、ルークのものよりも濃い、森の色の瞳が目に入る。
「……アッシュ?」
問いかけの声が我ながら自信なさげなものになったのは、全体的に黒っぽいのは同じながら、アッシュ? の着ているものが見慣れた詠師の装束ではなかったからだ。
思えば、ルークがアッシュの私服姿など見るのは初めてのことだった。片手で足りるほどの回数同じ宿で同室になったことがあるが、そのときもタバードを脱いだだけで、アッシュはかっちりとした法衣を脱がなかった。別になにか突発的なことが起こるのを警戒しているからではなく、単にルークを信用していないからだ。
なんとなく、アッシュならどんなときでも乱れなく、隙のない格好をしてるんだろうなと思っていたのに、まるで自分自身がアッシュのふりをしているのかと思うほど、目の前のアッシュ? は適当に服を着くずしまくっている。いや、適当にみえるけれども、その着くずしかたはルークの好みに合っていた。適当に着ているようで、きちんと自分に似合うよう計算されているのだろう。
違いは服装だけではなかった。汗に濡れて乱れた前髪はいかにも洗いっぱなしという感じで、いつものように隙なく整えられていたものがくずれたという感じはしない。そのうえ今日はどうやら髭も剃っていなさそうだ。
おれはまだそんなに生えねえのに……とルークは負けちゃった感を噛みしめながら、うっすらと浮いた無精髭が無頼の男のように変な色気を放っているアッシュ? を見つめた。
「一体どうしちまったんだよ、お前、その格好、」
そのうえ今、ルークのことを「ルーク」と呼んだ。もちろんルークの名は「ルーク」であるので、その呼びかけは間違いではない。が、なにがどうあってもルークを「ルーク」と呼ばない人物が、誰あろう目のまえのアッシュなのである。
だが、アッシュ? はルークの前でひどく無防備に愕然とした顔を見せ、次いでみるみるうちに眉間に皺を寄せた。目が少し充血して赤くなっているのもあいまって、その目つきはこれまでに見たことがないほど険しく、凶悪に見える。ユリアシティで初めて対峙したときでさえ、これほど悪人面ではなかった……はずだ。
「てめえ、誰だ?」
「……はあ?」
今まさに「ルーク」と呼びかけたくせに、誰だとはなんだ。それとも、同名の知人と間違えでもしたのだろうか? ──容姿もよく似た?
「まあ、アッシュ。どうなさったんですの?」
ナタリアが頬を染めて、嬉しそうにいそいそと近寄ってくる。
「ナタリア、こいつは誰だ? こいつも俺のレプリカとやらなのか? いや、んなこたあどうでもいい、俺のルークは戻ってきたか? どこへ行った?」
アッシュ? の立て続けの問いかけに、ナタリアの足が止まった。気持ちはよくわかる。ルークも、どこからなにを突っ込めばいいのか、もはやわからないのだから。
「アッシュ、詠師の法衣はどうしたの?」
身分をもっとも端的に表すものを脱ぎ捨てているアッシュ? に、ティアが不思議そうな声をかけた。同じ神託の盾に所属するものとして、そこをまっさきに気にするのは、まあ間違いではないだろう。
アッシュ? はまるで街にたむろするチンピラのようにティアの上から下まで視線を走らせ、フンと鼻先であしらった。
「とうとう脳にいくはずの栄養がオッパイにまわるようになったのか、メロン。あんな悪目立ちする服、そこいらで着て歩けるわけねえだろ」
アッシュ? はうさんくさそうな視線をアニスとジェイドにも流し、ふと首をかしげた。悪目立ちするその制服になにか問いたげに口を開いたが、すぐに思い直したように閉じる。
「いろいろ突っ込みてえことはあるが、早く迷子を探してやらなきゃならねえし。またあとでな」
「ちょ、ちょっとあなた!」
遅まきながら自分がメロンと呼ばれたことに気付いたティアが、目を三角につりあげて呼び止めた。鼻も引っかけずにアッシュ? は身をひるがえしたが、進行方向に立ちすくんでいる人物に気付いて弾かれたように急停止した。
「う、うそ……」
「ど、どういうことですの!」
「アッシュが二人いる……?」
見慣れた詠師服のアッシュ、ルーク以上にアッシュに瓜二つながら、無精髭のせいかどこか大人びて見える私服のアッシュモドキが正面からにらみ合っている姿はなかなかシュールだった。
「この偽物が!」と何度も激昂して掴みかかろうとするアッシュを適当にいなしながらつまらなげに語られたアッシュモドキの話は、記憶を失ったという一点をのぞけばそのままアッシュの生い立ちとかぶる。彼は自分たちモドキと行動をともにしているというから、今日までの行動はアッシュとは違うのだろうが、『今日の日付』は両者ともに一致していて、そのことが余計にルークを混乱させた。
「ただ、俺はまったく憶えてねえ。だからこれは、全部お前たち──モドキに聞いた話だ」
「……あなたのいうルークモドキがこのルークと同じ存在というのなら、ささいな食い違いから分岐してしまった、違う時間軸からこちらへ来てしまったのかもしれませんね。今日と言う日までアッシュは記憶を失くしてなどいないようですし、少なくとも、あなたは我々の知るアッシュとは性格が違うようだ。そういう世界は本来別々にわかれたまま保たれるはずで、なんらかの事故でもなければこのように混じったりしないだろうと思うんですがね」
「ああ、それなら原因かもしれないことに心当たりがある」
アッシュモドキがこのごろ暇さえあれば仲間全員、あるいはルークモドキと二人で潜っていた洞窟は、ところどころに空間の歪みがあって、思いもかけない場所に飛ばされたりする危険な場所だったが、飛ばされる場所が同じ洞窟内であったのと、棲みついた魔物が高額に換えられるため、鍛錬の場として気に入っていた場所だったらしい。音素がふきだまり空間を歪めている場所をアッシュモドキたちは「なんとなく嫌な感じだ」というシックスセンスでうまく避けていたのだそうだが、二人きりでの戦いのさなかにルークモドキが突如出現した歪んだ地場を踏み抜いてしまった。間髪入れずに飛び込んでルークモドキに手を伸ばしたが、指先がかすっただけで掴むことができないまま意識を失い、気付いたら洞窟の入り口に飛ばされていたという。
「同じ穴に落ちたんだから、出口も同じはずだと思うんだがな……。念のために中もざっと探したがあいつはいなかった。こういうときは安全な場所へ移動して、動かず待ってろと言い聞かせてあるからまずこの街へ来たんだ」
アッシュモドキはアッシュらしからぬ仕草で不機嫌そうにガリガリと頭を掻いた。
「お前が探そうとしているのは、お前のレプリカなんだよな?」
とにかく早くルークモドキを探しに行きたいようすのアッシュモドキに、ガイがひややかな声をかける。だがその声音はアッシュに話しかけるときほど冷たい響きはなく、ルークはあらためてアッシュに申し訳ない気持ちになって、身を縮めるような思いでアッシュのようすをうかがった。幸いにもアッシュはアッシュモドキに気を取られていて、ガイの声音の温度差に気付いた様子はない。
その問いにアッシュモドキは眉をよせ、アッシュとルークを見比べて失笑した。「ああ、やっぱりここでもそういうことになってんのか?」
「と、いいますと?」
面白そうに眼鏡を光らせるジェイドに、アッシュモドキは嘲笑を浮かべてアッシュを見やった。「いや、俺もそう教えられたが……。俺んとこのルークとこっちのルークが被験者とレプリカと言われりゃ納得もいくが、こっちの俺とこのルークが被験者とレプリカだと言われたって、誰が信じるよ? どっちのルークも可愛いが、こいつは少しも可愛げがねえ。まず間違いなく、人の話を聞かない頭のわりいやつのツラだ」
「てめえ! さっきから黙って聞いてりゃ……!」
「うるせえな、てめえがいつ黙って話を聞いたんだよ? キャンキャンキャンキャン躾のねえ駄犬みたいに喚きやがって、メロン以上のヒステリーだぜ。お前、溜まってんじゃねえの?」
ルークは目をぱちぱちさせてアッシュモドキを見、ティアを見、アッシュを見た。なにか言ったほうがいいような気がするが、なにを言えばいいのかわからない。
助けを求めてガイをうかがうと、ガイはぽかんと口を開けてアッシュを見つめている。ガイを見てきゃあきゃあ騒いでる女の子たちも、こんな間抜けな顔を見たら百年の恋も一時に冷めるだろうと思う。──なんてことを考えてしまったりしている自分は、すでに逃避に入ってるんだろうか。
「な、な、な」
ティアは真っ赤になって口をぱくぱくさせているだけだ。アッシュは──怖くて見られない。
うろたえていると、ふいにアッシュモドキが手をこちらに伸ばしてきた。まるで子どもにするようにポンポン、と頭の天辺をたたく。
「可哀想に、ずいぶんほっとかれてんじゃねえのか? このダセえインポ野郎はほっといて、お前は適当に抜いとけよ」
言葉の意味はわかるが、理解が出来なかった。ルークはしかたなく口元だけで曖昧に微笑んだ。
ここが自分の知る世界ではないということ、ルークがルークモドキではないことだけを確認すると、アッシュモドキはもう用はないとばかりにさっさと立ち上がった。まだ聞きたいことがやまほどあるらしい面々のことは気にもならないらしい。
「なあ、なんでルークがルークモドキじゃないってわかったんだ? アッシュとお前を見るかぎり、ルークとルークモドキも同じ顔なんだろう? なのに一目で見抜いてたよな」
ガイの問いかけに、アッシュモドキは振り返り、ちらりとルークを見たあとにやりと笑った。
「まあ、まず表情が全然違うが。あいつは今、そんな腹やら腕やらを丸出しにして歩けるような身体じゃねえし、なにより──」アッシュは座ったままのルークに近づくと、真横から丈の短いシャツを上着ごとぐいと顎の下までまくりあげ、しみじみと凝視して言った。「あの可愛い胸がねえしな」
「ギャーッ?!」かがみ込んだアッシュモドキにベロリと乳首を舐められて、ルークは奇声をあげた。肌をざらりとかすった無精髭の感触におぞけが走って、全身の毛がそば立つ。「ななっ、なにすんだ!!」
身体を丸めて自分の身を抱きかかえるルークの耳に、阿鼻叫喚の悲鳴をかいくぐってアッシュモドキの呟きが聞こえた。
「いいねえこの反応。左右にはべらせて、両側からしゃぶらせてみてえ」