キスと、甘い約束と 01

 奥義への繋ぎに食らわせた双牙斬が、とどめの一撃になった。

 ただでは倒れぬとばかりに、魔物は凪ぎ払うように巨大な羽を振り回した。着地と同時に、まるでそれに気付かぬよう突っ込んで行ったルークの動きは、確かに少々無謀に見えたかも知れない。

「ルーク!」
「危ない!」

 ティアとガイの口から同時にルークへの警告が放たれた時には、すでにルークは倒れゆく魔物が最後の抵抗として放った攻撃から逃れる体勢を取っており、尚且つまだその背後にいる敵に狙いを定めて剣を構え直してもいた。
 瞬時にそれを見取り、アッシュはすぐに目の前の敵に集中する。体力が高く、彼を欠いていればおそらくかなりの苦戦を強いられただろう敵を、ジェイドによる譜術の援護を一度得ただけでほとんど一人で倒し、剣を納めてルークを振り返ったとき、戦闘はすでに終わっていて、ルークはジェイドを除く全員に囲まれて小さくなっていた。
「──無茶をする」
 ぼそりと呟かれたジェイドの言葉を聞く限り、この男ですら彼らと同じように思い違いをしているのは明らかだった。

 アッシュは思わず首を傾げたが、至近距離で敵に相対する剣士にしか分からない視点というものもある。距離を取って戦う譜術師には少し分かり難いのかも知れなかった。 
 だが、一人だけ。ルークの一見無謀にも見える行動の真意を見抜かなければならない者がいる。
 アッシュは眉間に皺を寄せて、彼らの背後に立った。

「ルーク」

 誰が何を言っているのか分からないほど興奮してルークを叱っている声の中で、その憤りを押し隠した低い声は、ことさらに重々しく聞こえた。ルークがびくりと身をすくめる。
「なんでこいつらに言ってやらねえ。最初から攻撃の範囲を見切っていたと、その後ろにいる魔物にターゲットを変えていたと、それは左手から突っ込んで来ていたちびのフォローが入ると分かっていたからだと、ちゃんと言わねえとこいつらには分からねえぞ」
 ただでさえ顔から落ちそうなほど大きなルークの目が、更に大きく見開かれるのを見て、全員がアッシュの台詞が真実であることを知り、驚いてルークを見直す。
「本当なの、ルーク……?」
 ティアの問いに、ルークは肯定するか否定するか悩むようにうろうろと視線を泳がせ、結局答えられずに俯いた。肯定すれば、仲間たちの心配が的外れだと指摘することになるし、否定すれば自分を庇う発言をしてくれたアッシュに悪い。
 どうせ、彼の幼い頭の中はそんなつまらない考えで一杯になっているのだろうと、アッシュは溜め息をついた。
「てめえらが自分を心配して怒ってるのが分かるから、こいつは何にも言い返さねえんだ。──てめえらは、こいつに過保護すぎる」
「なんだと?」
 剣呑な顔で自分を睨みつけてくるガイに、アッシュは挑むような瞳を向けた。
「そうだろうが。そもそも、誰が気付かなくても剣士のてめえは気付いてしかるべきだろ。てめえの目はこいつ可愛さに曇りすぎてんだよ。こいつは俺にはまだまだ、全然、からっきし及ばねえが、一人前の剣士なんだ。何故それを認めてやらずに子どものように扱うんだ」
「だって、だってルークは……っ!」
 アニスが、ルークの袖をぎゅっと掴んで俯いた。




 このパーティの全員が、実年齢が七つとはいえ、一人前の剣士として働くことの出来るルークを、なぜこれほどに何も出来ない子どものように扱うのか、何故過保護に守ろうとするのか、アッシュには分からない。記憶があれば、分かったことなのだろうか? それとも、自分の知るはずのない何かが、彼らの間にあったのだろうか? アッシュがこのパーティの前衛として同行し始めてそれほど日が経ちもしないころから、ルークの腕が群を抜いているのは分かったのに。それなのに、どうしてこの連中はそれを認めようとしないのだろう。こんなことは、実のところ今日初めて起こったことではないのだ。

 アッシュ以外の全員が、本当はルークを戦闘に出したくないと思っていることは薄々気付いていた。だが、彼らを心の底から慕っているルークは、彼らのことを自分が守りたいと思っている。その力が自分にあることを知っている。全員がおそらく反対しているにも関わらずルークが前衛に立っていることに関しては、自分が来る前にそれなりの攻防戦があったものと思われた。
「わたくしたち、本当は……。本当はルークに、もっと子どもらしい日常を過ごして欲しいんですの。わたくしたち大人の前に……ルークを盾のように置いておきたくないんですのよ。今更何を言う、と思われるかも知れませんが……」

 何を言う、と言えるだけの記憶も術も持たないアッシュは、それを聞いて再び深く、長い息を吐いた。

「……お前たちは、自分が七歳のとき、いつまでも子どもでいたいと思っていたのか。俺なら、早く一人前に扱われたいと思うような気がするが」

 溜め息まじりのそれを聞いて、全員がはっと息を飲んだ。

「え、ええ……! 確かにあなたはそういう子どもでいらっしゃいましたわ……!」

 民のために、国を変えるために、力を合わせようと約束した。
 復讐を遂げ、家名を再興する力と意思を欲していた。
 何か目的があるらしい兄の手助けがしたいと思っていた。
 父母を守るために、自分が早く大人にならねばと決意していた。
 大人になればもっと自由な研究が許されるのにと、そう考えていた。

 そんな年頃のころには、全員が、早く大人になりたいと思っていた……。

 黙り込んでしまった者たちの間を抜け、ルークの側に立つと、アッシュはくしゃりとルークの頭を撫でた。
「お前は、直情的に突進しているように見えて、全体の動きをちゃんと見ていた。どう動けば仲間の動きを活かせるか、どこからフォローが入るか、譜術師を危険に晒さねえか、考えて動いていたな。仲間と一緒に戦うのなら、それでいい。むしろ過保護が過ぎるあまりにこいつらが起こすかも知れねえ失態の方が怖えくれえだ。──だが、一人の時はこんな戦い方すんじゃねえぞ。危ねえからな?」
「アッシュ……。う、うん」
「お前は、俺の背後を安心して任せられる実力を持ってんだ。もっと自信を持っていい」
「──っ、うん!」

 混戦の最中、アッシュはおれを見ていてくれた。
 ──認めてくれた。
 背後を任せられるって……!

 嬉しさに、髪の色と同じくらい朱く染まった頬と、どうしてもうずうずと緩んでしまう口元を隠すように、ルークは俯き、きゅっとアッシュのタバードを掴んだ。
 甘えるようなその仕草を、困ったように見下ろすアッシュの目元も、ほんのり染まったような気がする。と。

「こんなところで、そんな可愛い顔すんな。勃ってき「やーめーろってええええええええええ!!」」
「なんでだよ。惚れてる奴のこんな顔見て突っ「アーッシュ!!」と思わねえ男なんざ、アレをぶら下げてる資格もねえだろうが」
「げ、下劣な! ルーク、こっちへいらっしゃい! あなたが穢されてしまうわ!」
「サイテー! あんたってほんとにサイテー!!」
「アレ? アレってなんですの?? もうっ、わたくしにも教えて下さいまし!」

 いつも通りのアッシュの問題発言を必死で打ち消そうとしているガイと、頭痛を堪えるようにこめかみを押さえるジェイドの横で、ティアやアニスが甲高い声を上げてルークを引き寄せる。
 少し気まずかった空気がそれで払拭されたのは果たして偶然なのか、或はルークが仲間を想う気持ちを慮った、アッシュの思いやりであったのか……。 








「記憶が戻る様子、全然ないな」
「そのときのアッシュを早く見てみたいものです」
「……わたくしは、このまま戻らなければいいと思っていますわ」
「……悔しいけれど、私も……」
「だけど、ルークは趣味悪すぎだよぅ〜。おぼっちゃまなのに、なんであんな野獣みたいなのを気に入っちゃうの??」
 野獣って……と、ガイは思わずジェイドと顔を見合わせて苦笑した。自分たちから見れば、アッシュなどほんのちょっぴり本音を出しすぎるだけの、極々普通の男に過ぎないのだが、潔癖な少女たちが夢見る王子様像と違いすぎるのは仕方がない。アニスはともかく、ティアが夢想する「理想の男性像」などは、聞いている限りではおそらくこの世に存在しないものであると思われる。彼女がルークを憎からず想っているのは、ルークの実年齢がまだ七つでしかなく、生々しい雄の匂いがきっと、欠けているからなのだろう。

 ホテルの部屋は取ったのに、なんとなく別れて部屋へ戻る気になれない彼らは、ラウンジでお茶を飲みながら、部屋で休むといって席を立ったのに、ホールの中心に据えられている巨大な水槽に目を奪われているルークと、それを優しい目で見守っているアッシュを見つめた。

「ご主人様、お魚さんに夢中ですの〜」
 当の主人よりも嬉しげにガイの肩の上で身を揺らしているミュウは、アッシュが同行し始めてからは気を利かせているつもりなのか、ガイとジェイドの部屋、或は女性陣三人の部屋で眠る。いつも辛そうに俯いてばかりだった主人が幸せそうに笑っているのが嬉しくて仕方ないらしく、淋しがるそぶりはない。
「大人として扱え、ですか。ルークがそんな風に思っていたとは気付きませんでした……。今度こそ、間違えず年相応に、と思っていたんですがねえ」
 ひっそりと呟かれたジェイドの声は、小さかったにも関わらず全員の耳を打った。
「子どもは子どもらしく、なんて考えてんのは大人の傲慢、ってことか」
「あたし、あたし……っ! 一番気付いて良いはずだったのになぁ……? なんであんな、ルークを苛めてばっかいたヤツは気付いたのに、あたし……」
「アニス……」
 しょんぼりと俯いたアニスの肩を慰めるように引き寄せたティアの顔も複雑だ。

「わたくし……なぜアッシュが記憶を取り戻すことが出来ないのか、分かったような気がしますわ。あんなにもルークを理解しているのに、あんなにも愛しているのに、最初に取ってしまった態度のまま冷たく接するのは辛かったでしょう……。ですけど、アッシュもプライドの高い人ですから、途中で態度を変えるのは、きっと難しかったんですのね……」




 大きな台座に据えられた、変わった形をした巨大な水槽は、水の街グランコクマのホテルならではの演出だった。海の底をそのまま模したように、岩や珊瑚や水中植物でしつらえられた水槽の中を、まるで内側から仄かに発光しているようにも見える、珍しい綺麗な色合いの大きな魚が悠々と泳ぐ。その様を、ルークが台座の淵に両手を掛けて、乗り出すようにべったりと張り付いて見つめていた。水槽には、他の旅行者の子どもも張り付いているのだが、その子らと同じように口を半開きにして、右に左に魚が泳ぐ度に、視線のみならず顔までが左右に振られているのがとても可愛い。

 守護天使のようにそれを見守るアッシュも同じ思いのようで、ルークの肩越しに一緒に水槽を覗き込む振りをして、時折耳を啄んだり髪にキスを落としているのが分かる。可愛くて仕方ない、愛おしくてたまらない、そんな顔をして……。

 それは、狂おしいほどにルークを求めて已まないアッシュの想いが、目に見える形で現れた行為なのであり、目にしてしまった第三者の方は、その切なくも幸せな光景に、思わず目頭が熱くなってしまったり、居たたまれずに赤くなって俯いてしまうほどなのだが、夢中になりすぎて気付かないのか、或はそんなアッシュにすでに慣れてしまって意識をしていないだけなのか、背後を振り返ることすらなく、変わらずまんまるに見開いた目でルークは魚を追っているのだった。

 どんなにアッシュを憎いと思っていても、こんなルークを見てしまってはティアの目が輝かないはずはなく、アニスの目も、どこかほっとしたように和んでいる。

 アッシュは戦闘や外交的な折衝に関しては、十七歳でも厳しいレベルをはっきりとルークに要求した。ルークの実年齢を知ってしまった彼らには、それは過酷に過ぎる要求のように思え、幾度もアッシュに苦言を呈したのだが、このことに関してはアッシュは絶対に意見を変えようとしない。そのかわり、日常生活の上ではルークを決して否定することなく、ぐずぐずに甘やかしていた。赤ん坊のように世話をされ、子どものように甘やかしてもらっても、大事な時にはちゃんと大人と同じように仕事を任せて貰える、その安心感があるからなのか、過保護に甘やかしてばかりいたころより、ルークは素直に、年相応の自分を見せてくれるようになってきている。それは、パーティの全員にとって本当に眩しく、嬉しいことなのだ。これまでのルークなら、どんなに珍しい魚の水槽に興味があっても、きっとそれを綺麗に隠してしまっていただろう。そして誰も、ルークが魚の水槽を見たいと思っていることなど気付かなかったに違いない。

 アッシュの指摘で初めて気付いたということは、正直悔しい。彼らはアッシュなどよりよほど長くルークの側にいたのだ。だがそれでも。何度も繰り返す彼らの過ちをアッシュが正してくれたこと、何より真実のルークを引き出してくれていること、意図せずとはいえ、自分たちの罪悪感すら軽減してくれていることに気付かないわけにはいかず、感謝しないではいられないと思う。

 厳しくするだけならおそらく萎縮し、甘やかすだけなら反発する、そういった七歳の少年の心の機微を上手く見抜いて接するアッシュの絶妙な匙加減、それは完全同位体だからこそ成せる技なのか。
 ──それとも、己の記憶を深層意識深くに封印してしまうほど、強く深い、真の愛情と理解があるからこそ出来ることなのか……。






「8169」を踏まれた椿様のリクエストは、「Mark Like Mine」設定での後日談、もしくは記憶がなくなる前のアッシュ、それ以外でも……というものでした。記憶がなくなる前のぐるぐるアッシュは個人的にすごく興味があったんですが、ルークがあんまり可哀相で泣けてくるので(多分、うちのルークの中で一番ネガティブで傷つきやすそうで(TдT) 反面アッシュは一番ポジティブ……かも)今回は後日談の方にさせていただきました。(2011.06.16)