通ってきた時空の回廊を閉じて、そっと足を踏み出したそこには、クリスマスイブの夜の子供部屋とは思えないほど、寒々しい部屋があった。
 男は背中に担いできた大きな袋を下ろして、その部屋を見回した。主に白と青の濃淡でしつらえられた空間は、スタイリッシュと言えば聞こえはいいが、実際はなにももののない、がらんとした空間でしかない。
 かつて男がその部屋の主であったころには、もう少し子どものの部屋としての体裁が整っていたはずだ。本棚にはぎっしりと絵本や厚い物語の本が詰まっていたし、歳を一つ重ねるごとに贈られたさまざまなものがそこかしこに飾ってあった。それは今の主が癇癪を起こしてだいなしにするたび処分されていき、新しいものが与えられることはなかったのだ。
 窓際に据えられたベッドには人が眠っているようなふくらみは見当たらないのだが、実際にのぞき込むと、重ねた羽枕の上に、夜目に慣れた目にうっすらと色のわかる赤っぽい髪が散っている。ベッドの主は、存在を感じさせないほどに小さく、まだ薄っぺらな身体しかもたない子どもなのだ。
 その子どもらしいふっくらとした白い頬には、涙が固まって白い筋を残し、冷え込みのきつい夜なのにも関わらず手は掛け布団の外に投げ出されていた。その甲が赤く腫れ上がっているのを見て、男は痛々しさに顔を歪めた。
 きっと、鞭打たれたあとなんの手当もされないまま放置されているのだ。あきらかに熱を持って疼いているのがわかる。痛みに耐えかねて一人で涙をこぼし、やがて泣きつかれて眠ってしまったのだろう。
 手当をしてやりたくて、一人で泣くなと抱きしめてやりたくて、男はしばらくの間その小さなふっくりとした手を見つめ、立ちすくんだ。だが手当して抱きしめれば、子どもは目を覚ましてしまうだろう。同時に、この夜にしか使えないローレライの魔法も解けてしまう。
 やがて身体を二つに裂かれるような痛みと激情を押さえ込み、男はのろのろと動き出した。
 まずはベッドの足下に大きなツリーを置く。樅の木の香りはきっと子どもの心を落ち着かせ、健やかにしてくれるはずだ。
 手際良く飾り付けをすませたあとは、何度か視線を変えて点検し、気の済むまで飾りの位置を変えた。
 ツリーの出来に満足がいったあとは、持参したプレゼントを下に置いていく。
 このころはどんなものを欲しがっていたのだろうと考え、思いつくものを端から用意したのだから、その数は膨大だった。抱えてきた袋の中から、男は抱えきれないほどの包みを次々と取り出して積み上げていった。
 全部が自分へのプレゼントだと彼はわかるだろうか? この屋敷には彼しか子どもがいないのだから、必然的にすべて彼のものになるだろうが、自分のために用意されたと知るほうがきっと嬉しいはずだ。そう気付いて、男は宛名だけを書いたカードを上にそっと置いた。
 用意してきたとっておきのプレゼントは枕元に置くことにしたが、はなから期待などしていないのだろう、枕元に靴下など用意されてはいないのが哀しかった。むろんそんなものに入るプレゼントではないのだが、無邪気な子どもらしくあることを許されない境遇に改めて胸が痛む。
 すべてを計画通りに行ってから、男はベッドの中の少年をそっとうかがった。何度かひやりとする場面はあったが、少年に目を覚ました痕跡はない。
 朝になったら、この部屋のありさまを見て、きっと大騒ぎになるだろう。だが、それでも。彼のことを想う存在がどこかにいるということを、今の彼に知って欲しかった。
 男は気付かれないように髪を掬って毛先に口づけ、少し逡巡したあと目元にも口づけ、結局足りずに頬にも、鼻先にも口づけを落とし、我慢しきれずに小さな唇もついばんだ。
 やがて振り切るように再び時空を歪め、ゆっくりと後ずさりするように身を隠していく。きらびやかに飾られたツリーと、山のようなプレゼントが置かれただけで、そこは入ってきたときと違い、愛された子どもの部屋に見えた。

「わ、あ……」

 眠い目をこすりながら起き上がった子どもは、ベッドの足下の方向に飾られた大きなクリスマスツリーに思わず声を上げた。
 昨夜就寝の支度をしてくれるメイドにも気付かれないよう、腫れた手を隠してこっそり泣きながらベッドに入ったときには、そこはなにもない寂しい空間でしかなかったのに。この屋敷にも大きなツリーが飾られているけれども、それよりもぜんぜん立派なツリーだ。大きさは少し敵わないかもしれないけれど、思わず顔がほころぶようなかわいいオーナメントや綿で作った真っ白な雪は、なんだか「子どものためのツリー」というようなわくわくする感じがする。金色のベルや模様の入ったグラスボールは、薄いカーテンから入る朝の日差しを反射して、部屋の壁や、天井に美しい遊色をきらめかせた。
 小さな胸をときめかせながら身を乗り出したとき、何かが手に触れた。ふと横を見ると、大きくて重厚な飴色の木箱と、一抱えもある巨大な書物が置いてある。
 木箱にも書物にも鍵穴があって中を見ることは叶わなかったが、ずっしりと重たいそれが子どものために用意されたのは確かで、子どもは手の痛みなど忘れてその二つの贈り物を抱え、再びツリーに視線を戻した。
 そのとき、子どもの目は一つだけ毛色の変わったオーナメントを捉えた。少しだけ身を乗り出してそれを確かめ、重い二つのプレゼントをもう一度枕の横に置いてから裸足のままベッドから飛び降りる。
 ──鍵だ。
 鈍い金の、複雑な模様のレリーフがある鍵。赤いリボンで、子どもの一番目につきやすそうなところに飾られていた。
 子どもの頭がどれだけ「お可哀相」だったとしても、それがなんの鍵なのかわからないはずがない。
 子どもは素早くそれを解いて、ベッドに駆け戻った。合わせてみると、大きな書物の鍵にぴたり合う。
 それは書物などではなかった。子どもにとっては、もっと素晴らしいものだ。
 画帳──それも白だけでなく、色とりどりの画用紙がたくさん綴じられたものだったのだ。それは一枚だけ取り出して、また綴じることも出来る。描いたものを誰にも見られないよう、綴じて鍵をかけることも出来る、素晴らしい画帳だった。
 一緒に置かれていたものの片方が画用紙だったなら、もう一つのほうの予想もつくというもので、子どもは高まる期待と興奮に息を弾ませながら、木箱の鍵穴に鍵を差し込んだ。こちらも同じ鍵で簡単に開いた。中には薄い木のトレーがいくつも重ねられた形状になっている。
 期待した通りのものだったが、感嘆の声一つ出すことが出来なかった。
 それは、何百色もありそうな、パステルと色鉛筆のセットだった。
 驚きのあまり、子どもは目も口もまんまるに開いたまま、息を止めてその美しいグラデーションに魅入った。そっと指を伸ばして右から左へ何度も辿り、指の腹の下で、色鉛筆が回転する感覚を楽しむ。
 一体誰が、こんな素晴らしいものをくれたのだろう。子どもは絵を描くのが好きで、日記の横にあれこれ落書きやスケッチなども残しているが、それを誰にも言ったことはないのだ。
 それに思い当たったとき、贈り主が一人しかいないことに気付いた。多分、間違いないはずだ。昨夜、ここにもサンタクロースが来たのだ。良い子のところにしか現れないというから、いまだにマナーが憶えられずに手を打たれる自分のところになど来るはずがないと思っていたのに。
 枕元に靴下がないのに気付いて、サンタクロースは困らなかっただろうか。もっとも、これが入るほど大きな靴下をこどもはもっていないのだけど……。
 来年は、きっと大きな靴下を用意しよう。そして手紙と、これを使って描いた絵をお礼に渡すのだ……。
 そう決意して、子どもは大きな画帳を胸に強く抱きしめた。

 やがて子どもを起こしに来たメイドが部屋のありさまを見て仰天し、昨夜白光騎士にも気付かれずに屋敷に入り込んだ侵入者がいると大騒ぎになって、それこそ庭の敷石まで剥がす勢いで調査をしたのだが、結局はなにもわからずじまいになった。山と積まれたプレゼントも使用人たちがすべて開けて中身を調べたが、出て来る品々は子どもへの理解と愛情に溢れたものばかりで、余計に人々を混乱させのだった。

 サンタクロースは次の年も、またその次の年も、たくさんのプレゼントを誰にも知られぬまま残していった。そして靴下と共に置かれた子どもの手紙と、年々達者になる想像のサンタクロースの似顔絵や庭のスケッチがその代わりに屋敷から消えていった。それは、屋敷から子どもが忽然と姿を消すまで続いたのだ。

 やがて帰ってきた子どもはいつしか子どもでなくなり、クリスマスのプレゼントはサンタクロースではなく恋人から贈られるようになったのだが、屋敷では今でも、あのころはほんとうにサンタクロースが来ていたのだと信じられている。


2012年のクリスマスに、ブログに載せたものの再録。(2013.04.24)