【30】
「……そこで何してる。出てこいよ」
声をかけると、剣を二本抱いたシンクを初め、アッシュと最も仲の良いもの数人がぞろりと出てきた。シンクは怒ったような顔をして顔を逸らしており、他のものは泣いたり、深く俯いている。
「何泣いてんだよ。……オリバー、顔を上げろ」
「俺たち、お前が心配で……」
剣を佩いて他国の王族の前に立つことを許されなかった自分を心配して忍んでいたのだろうから、責める気など毛頭ない。アッシュは苦笑して、ふて腐れているシンクから剣を受け取った。シンクがこんな顔をしているときは、とても相手を心配しているときなのだ。素直じゃないので、大抵心のうちと正反対の顔をする。
「ハイマン、ありがとな。助かった」
借り物だった剣を泣いている同僚に押し付け、カトラスだけを大切そうに腰に戻す。「──これな。形見になっちまった……」
「ア、アッシュ、俺たち……こないだ、ごめん。アッシュの気持ちも知らないで、興味本位で……」
「俺も……すまない。すまない、アッシュ……俺……」
「ああ……? はは。俺が話さなかったんだから、当然だろ。気にしてもらうようなこっちゃねえ。……だが、黙っててくれるとありがたいかな」
「黙ってるよ! 誰にも話さねえ……」
「助かる。……悪い。少し、一人にしてくれねえか……」
「あっ、ああ! ごめん! 気付かなくて……」
「アッシュ、賞金受け取りに来るようにって、宰相閣下が。……あと姐さんが稼がせてもらったから何割か支払うって……」
「ああ……後で行くよ。──わりいな」
慌てて去って行く彼らがいなくなって、アッシュはずるずると噴水にもたれて腰を下ろした。霧のように細かな飛沫が降り掛かり、少しずつ髪を、顔を濡らして行くに任せ、空を仰ぐ。うっすらと小さな虹が出来ているのに気付き、手を伸ばしたが、幻を掴むように幽かにそれを揺らがせただけで、ため息をついて何も掴めぬ手を握った。
初めは十二、三くらいかと思っていた。そのような歳の少年が、自分とほぼ互角に戦うのに興味を持ったし、いい金づるだとほくそ笑みもした。すぐに見かけほど子どもではないことに気付き、十五、六に訂正したが、まさか三つも年上だったとは思いもよらなかった。この方がモテるのだと、女と見紛われても笑っていた秀麗な美貌と小さな背丈の裏に、成長を押しとどめるほどの苦しみがあったことなど、想像もしなかった。
──父以外の誰にも心を見せず、誰も愛さない氷の天使の純潔を散らすのは何処の誰かと賭けまで行われていたが……兄が唯一、身も心も許したのがお前のような──
「おいおいマジかよ、あいつ……」
自分から誘ってきたくせに、慣れていると言ったくせに、ガタガタ震えていた姿を思い出す。痛くないから止めないでと泣き出されて初めて、ルークがそれまで必死で苦痛に耐えていたのだと気付いた。それほど、アッシュ自身にも経験がなく、彼の真実を何一つ悟ることが出来なかった。
胸元を握りしめて、わき上がる苦痛をやりすごす。初めてじゃないなんて、慣れているなんて、何故そんな悲しい嘘を付かせたまま逝かせてしまったんだろう……。
「……酷え思いをさせただけじゃなけりゃいいんだが……」
丁寧に手入れされた体や髪、真っ白でシミ一つない肌、そういうものを守っていける環境で暮らすことこそ、ルークには相応しいと思った。彼を皆が誤解したように、いっそかついでうちに連れ帰れたらと夢想もしたが、これまでに他国からかつがれて嫁いだ女たちとルークとは、もとの身分が違いすぎる。──いつか働きづめの貧しい生活に飽いて、元の生活に戻りたいと言われたら。アッシュを厭うようになったら……。
今考えると、なんとつまらないことを恐れたのだろう。
それでも俺の側にいろと言えるほどのものを、何一つアッシュは持っていない。それでも、俺と一緒になるのが幸せなはずだと言い切れる自信も持っていない。
──だが、それでも、アッシュは己の心に従わねばならなかったのだ。絶対に手を離したりしてはいけなかった……!
己の心を押し殺し、心の求めるままに行動しなかった代償は、これほどに大きい。
アッシュには、うっかり死ぬことさえ出来ないほど守るものが多い。大切な人も家族だけじゃない。一番辛い時期を身を寄せ合い、支え合って乗り越えてきた村のみんなや、いざとなれば、他国の王にすら剣を向ける覚悟でここまで忍んできてくれた友人たちだって、家族と同じくらい大切だ。だから。きっとこれからも彼らを守るために長く生きる。いつかはルークに対する想いも、新しい恋や、生活に追いやられて風化していくだろう。今は命と同じくらい大切だと思うリングや剣も、そのうち持っていること自体が重荷になっていくのかもしれない。そしていつか金貨に、食べ物や衣服、家畜や飼料、家の修理費、或はいつか妻を得て暮らす新居に、姿を変えていくのかも知れない。
けれど、あのとき手を離さなければ今頃どうしていただろうと、現実と比べて思いめぐらせることを止められはしないだろう。そして、あの夜のルークの涙、微かに震えていた指先や、汗に濡れた肌の匂い、苦痛を飲み込む吐息や秘めやかな歓喜の声は──生涯忘れることがないだろう。