夢のあとさき

 それは深い水底に沈んでいることに、急に気付いたような覚醒だった。
 がばりと水を吐くように肺に溜まった空気を吐き出し、大きく喘ぐような呼吸を数度繰り返すと、唐突にぽかりと水面に浮かび出た。




 ──というのは気のせいで、アッシュがいたのは水底ではなくベッドの上であり、その上で溺れているのも己一人ではなかった。唇が触れんばかりに至近距離にある顔、それが己のレプリカであることに驚いて、弾かれたようにほとんど触れ合っていた上体を引き離す。
 すると苦痛に耐えるように歪み、紅潮したルークの顔の全体を、真っ正面から視界に入れることになった。
 ルークはまるでアッシュに顔を見せまいとするようにやや顔を逸らしていたが、微かに開かれ忙しない呼吸を繰り返す紅い唇や、きつく寄せられた眉、濡れた睫毛にぞっとするほどの色気があって、思わず息を飲むのと同時に体の中心にあるものがずくりと跳ねた。

「──っあ!」

 途端に上がったルークのあえかな声に、そこから快感の波が駆け上がってくる。釣られて声を上げそうになるのをすんでのところで堪え、奥歯を噛み締めながら、アッシュはやっと己のおかれた状況に目を向けた。

 見覚えはないが、おそらくどこかの宿だろう。飾り気のないこざっぱりした部屋に一人用のベッドが二つ。片方は使われた形跡もなく、アッシュは狭いベッドの上で己のレプリカに伸しかかっている。
 腕に膝裏を引っ掛けてルークの両脚を大きく開かせ、その中心に深く埋められた己のペニス。縋るように背に回され、肉に食い込むように力の込められたルークの指。

 何が起こっているのかわからず、アッシュは呆然と己のレプリカを見下ろした。まさか、思いつめるあまりに……? とほんの一瞬だけそんな恐ろしい思いがよぎったものの、すぐにアッシュにはこれが自暴自棄になった自分の暴走などではなく、夢だということがわかった。夢の中でこれは夢だとわかるのもおかしなことだが、夢とはそもそも整合性のないもの、こんなことだってあるのかも知れない。

 なぜ夢とわかったかというと、彼の組み敷いている『レプリカ?』の胸がなんとなく男のそれではないような気がするからだ。だからといって女の胸ともまた違うのだが……。あるかなきかのふくらみは、男の胸と呼ぶには不審なほどふっくらと柔らかそうに見え、女の胸と呼ぶには硬く、平たすぎる。吸われるのを待っているように紅くつんと尖った乳首も同様で、男にしては大きく、女にしては小さい。

 アッシュはルークの裸の胸など見たことはないが、基本の造りは己と同じはずだ。こんな違いがあるはずはないのではないか。

 なぜ夢の中のレプリカには事実に反して胸があるのだろう。俺はひょっとしてレプリカが女にでもなればいいと思っていたのかと不思議に思い、その仄かなふくらみを確かめるように片方を包み込むと、ざらりと荒れた手のひらが固く立ち上がった乳首をかすめた。

「ああああっ、あ、あ、あ!」
 途端にルークが、短い悲鳴のような声を断続的に上げた。己のものを包み込んでいた熱く柔らかな粘膜が激しくうねり、収縮する。
「やだ、もうやだ、そこはやだぁ……」
 あまりに激しい反応にぎょっとして固まってしまったアッシュだったが、びくびくと跳ねるルークのペニスが腹に跳ね返るのを見下ろして、やっぱり男だったと安堵する。いくら夢でも、己のレプリカを女にしてしまうのは少し罪悪感があった。

「ここ、嫌なのか?」
「──ひ! いいいいっ」

 片方を揉むようにしながら、反対側の乳首を口に含むと、ルークの体は硬く強張り、仰け反った。足の指がぎゅうっと丸まり、手の指が痛みを感じるほど深く背に食い込む。食いしばった歯の隙間から声にならない悲鳴が上がり、数度大きく体を震わせると、すぐにぐんにゃりと弛緩した。
 ほんのちょっぴりだったが、確かにルークのペニスの先から溢れたものを見て、後ろに突っ込んだままとはいえ夢の中では乳首を弄るだけでイケるものなのかと感心していると、ルークが必死で呼吸を整えながら責めるようにアッシュを見上げた。桜色の目元からは行く筋も涙が溢れ出し、頬を伝う。その拗ねたような顔はアッシュが現実では己のレプリカに見いだしたことがないほど婀娜っぽく、子ども子どもしているとばかり思っていた顔を全く別のものに見せる。

「おまえ、も、もう、むねばっかさわんねーって、いったっ……」
「す、すまん」

 そんな約束をした憶えなど全くないし、あんな反応をするとわかっていて触れないでいるのは無理だろうとアッシュは思ったが、甘えて拗ねた顔があまりにも可愛かったので反射的に謝ってしまった。ルークは元より本気で抗議したのではなかったようで、ほんの少し不審そうにアッシュを見上げ、首を傾げる。その顔がまた妙に可愛らしい。これが本当に俺と同じ存在なのかと、アッシュは不思議な気分で己のレプリカを見下ろした。

 アッシュが己のレプリカへ抱く思いはいつも複雑だった。激しく憎みながら深く愛し、愚かなレプリカと侮蔑しながらも、必死に前を向いて歩こうとする彼が眩しくてならなかった。いつの頃からか、その比重は大きく片側に寄っていき、大きくなった気持ちは小さくなった負の気持ちを喰らい尽くしてしまった。
 今胸にあるルークへの気持ちは、優しく湧きだしてくるような愛おしさと、己のすべてを懸けて大切に守らねばならないという強い決意だけだ。

(ああ……夢だからか、これは)

 その決意を持ちながら、アッシュは常にルークを萎縮させ、追いつめる。これではいけないと焦りながらも、おどおどと自分を見るルークの顔を見ると、同じ分量の淋しさと憤りが胸に渦巻く。どうしていいのか、どうすればルークと普通に接することが出来るのか、もうわからない。
 だが夢の中には、愛おしいという気持ちのほかは何も持って入ることが出来なかったようだ。
 すとん、とその事実が胸に落ち、アッシュが思わず微笑むと、無反応に動きを止めたアッシュに次第に目を曇らせていたルークが、ほっとしたように笑った。
「アッシュ」
 己の声と比べていつも少し幼いように感じていたルークの声が、いつも以上に甘く、舌足らずに聞こえるのが可愛くてならず、吸い寄せられるように、アッシュは少し開かれた紅い唇に己のそれを重ねた。

 それは彼が己のレプリカの唇を目にするたびに想像していたものよりもはるかに甘く、柔らかで、たった一度でアッシュを夢中にさせる。
 深く繋がったまま、アッシュはルークの体中を愛撫した。愛おしくて愛おしくて、自分と言う人間がこれほど深く人を愛せるのが不思議なほど愛おしくて。

 だがこれは所詮夢でしかない。目が覚めたら、アッシュはやはり彼を見て眉を顰め、罵倒してしまうのだろう。そしてルークは彼に許しを請うような悲しげな視線を向けるのだろう。被験者の傲慢で理不尽な言い分を俯いてじっと聞き、どこか諦めたような声で舌足らずに「ごめん、アッシュ」と謝る声は、その後も長くアッシュを苦しめるのに。

「レプリ、……ルーク」

 かつて己のものであったはずの名は、今や己のレプリカのものとして恐ろしくアッシュの舌に馴染んだ。それで、アッシュはもうずっと、自分がルークを『ルーク』と呼んでやりたかったのだと気付いた。

「ルーク」

 もう一度呼ぶと、ルークは薄らと目を開けた。夢と現の狭間を見つめているような、半分惚けたような随分と色っぽい視線が流される。

「ルーク」

 汗に濡れた前髪を、額を撫でるようにしてかき上げ、つるんとした額をむき出しにすると、そこに再び唇を落とす。ルークの瞳がくすぐったそうに細められ、唇が嬉しそうに綻ぶと、首に回した手がほんのちょっぴり力を込めてアッシュを抱き寄せ、耳元で恥ずかしそうに囁いた。
「……すき」

 ルークの舌足らずな声でなされる子どものように稚拙な告白は、だが他のどんな言葉での告白よりも真摯に、まっすぐにアッシュに届いただろう。

 夢とはどこまでも己に都合良く出来ているものだ。口にも、態度にも出した憶えのない数々の願望が当たり前のことのように目の前に示されていく。
 自嘲に顔を歪めるアッシュの頬を、ルークが不思議そうに見上げ、戸惑うように触れる。どうしたの? と言いたげな優しい顔を見下ろして、アッシュはずっと、ずっと胸に秘めていた一言を大切に舌に載せた。

「──愛している」
「おれも。おれも、アッシュ、おれもあいしてる……」

 夢の中における一世一代の告白には、間髪入れずに望むべくもなかった答えが返ってきた。愛おしさが溢れかえってきて、アッシュは強くルークを抱き寄せる。入ったままのペニスが刺激を与えたらしく、ルークが再び悲鳴を上げた。




 夢とはいえリアルすぎるというのか、何度抱いたって足りないと思ったのに、ルークの体内に二度吐精すると、アッシュの体は泥のように重くベッドに沈んだ。立ち上がる気力もなく、体液でどろどろになったまま、微睡んでいるルークをしっかりと抱え直し、意識が朦朧としてくるのに任せた。
 ルークはアッシュの名を何度も呼んで、自分から腕を回し、強請り、甘い声で快楽の涙を流してくれた。一生分ではないかと思うほど「好き」と「愛してる」を繰り返し、夢をより完璧なものにしてくれた。
 その上、頼り切ったように己の胸に顔を押し付け、とろとろと微睡む顔がなんだか幸せそうに笑んでいるので、いつもは頑なに動くことのないアッシュの顔の筋肉が、思いがけず素直に笑みの形を作った。

 これが現実になったら、どんなに幸せなことだろう。目減りしていくばかりの時間にいつまでも正直になれない自分。「愛してる」をもし現実でも言うことが出来たのなら、これを夢で終わらせないで済むのだろうか。

 ……アッシュにはわかっている。これは、都合の良い夢にすぎないということが。例えアッシュが素直にルークに許しを請うことが出来たとしても、こんな夢のようにルークがアッシュを愛することなどきっとないだろう。もしも愛を返してくれたとしても、それは友人や家族への愛情を逸脱するものにはなり得ない。
 だが、こんな風に、安心したように、幸せそうに彼を微笑ませることが出来るのならば、それがどんな種類の愛情だって、アッシュは努力をするべきなのだ。
 夢から覚めたら、きっと──。

「……本当は、全部、丸ごと、俺のものにしたいんだ……」

 その罪悪感に満ちた切ない声は、眠りの淵をたゆたうルークの意識にもぼんやりと届いた。
 いつだって自信満々のアッシュには珍しいほどの気弱げな声に、骨のひとかけら、汗の一雫、髪の一筋だって俺のものだと散々言い聞かせておいて今更何を言ってるんだろうという疑問が起こる。
(おれのこと、じしんがなさすぎだっていつもおこるくせにさー……)

 それをアッシュに言ってやらなくてはと思いつつ、口も瞼も重く、意に反してほんのちょっとも開いてくれない。仕方なく、アッシュを抱きしめる腕に力を込めた──といっても、どこもかしこもぐにゃぐにゃと力が入らず、そんなつもりになっていただけかも知れなかったけれど。








 目を覚ますと、腕の中にルークをしっかりと抱き込んでいた。互いに素肌のままなので、肌寒い季節にも関わらず薄らと汗ばんでいる。
 宿の窓にかかった薄手のカーテン越しに朝日が入ってきており、アッシュは眩しさに目を細めた。
 いつの間に朝になったのだろう? 寝癖だらけのルークの髪を撫でながら、アッシュは飛んでしまった記憶のことに思いを巡らせた。

 ゆうべみんなで食事をとったあと、二人で部屋に戻り、いつものように抵抗にもならない抵抗をするルークをなだめすかしてベッドに引き込んだ。泣いて嫌がるのを(嫌がるのは感じすぎるのと胸がほんのりとふくらんできているように見えるのを厭うてのことで、本気で嫌なわけではないとアッシュは知っている)無視して胸ばかりを攻め抜き、散々泣かせたあとぐったりしたルークの中に分け入……ったところまでは憶えているが、その後がどうにも思い出せない。
 幸か不幸か記憶を失くすのは今回が初めてではないため、特に深刻になることもなく、アッシュはほんのりとアムラの香りの残るルークの髪に鼻をすり寄せながら、真っ最中に記憶が戻れば、いくら頑なな『俺』だろうと素直にならざるを得ないのでは、という思いがほんの一瞬脳裏をよぎったことを思い出した。
 慌てて体を引きはがし、ルークの顔を覗き込んだが、彼の口元はうっすら笑みの形に綻んで、実に幸せそうだ。

 何か異変はないかとルークの表情をじっと観察し、もう少し離れて体も点検しようと思ったところ、暑く感じるほどの体温が離れてしまったことを抗議するように、ルークがもぞもそとアッシュに擦り寄り、きゅっとしがみついた。
 アッシュは眠るルークのこの仕草が可愛くて可愛くてならないので、思わずにやけてしまった顔を隠しもせず、あっさりと諦めて元のように胸元に抱き込んだ。
 ルークのこの様子を見る限り、『俺』もルークを泣かせたりせず、それなりに上手いことやったのだろう。なぜ記憶が戻っていないのかが疑問だが……。まだ『俺』は記憶が戻ればルークを泣かせると思い込んでいるのだろうか。

(──っち。ならずっと引っ込んでりゃいいものを。人が苦労して手に入れたものを美味いとこ取りしやがって)

 なんと言っても、ルークを我がものにするために泣き落としというみっともない手段まで使ったアッシュなのだ。いくら『俺』が自分自身とはいえ、他の男が労せず自分の恋人を抱いたような不快感がないではなかったし──本当に他人であったなら、不快感どころでは済まないのだろうが──それに結局、アッシュ自身は夕べルークを抱きそびれたままだ。お願いだから、三日に一回で許して下さいと泣いているルークを上手く騙して言いくるめ、一日一回で許可を強奪、いや貰ったのに、夕べ可愛い恋人を鳴かせたのは己ではない。となれば。

「……『俺』が何回やったか知らねえが、俺はやってねえんだから、カウントしなくても構わねえよな」

 ルークがそれを聞いたなら、一日一回の約束すらまともに守られたためしがないことを目を三角にして指摘しただろうが、目を覚ましたルークが暴れて抗議を始める前に、さっさと文句を言えないところまで持って行っちまおうとアッシュは悪魔のようなことを考え、痛々しいほどに紅く尖った乳首に唇を寄せたのだった。






 15,000打を踏まれました二名様のうち、最初にリク下さいましたすおう様分を先にアップさせていただきました。すおう様のリクは、
 1 close your eyes〜の2でちらりと話題に出ていた“ませた少女たちのレプリカごっこ”をルークがアッシュと連れ立っている時に目撃する。
 2 Mark Like Mine設定での更に後日談。記憶が戻る…と云うより、戻っても大丈夫かの“お試し”みたいに一時的に記憶が浮上する……アレの真っ最中で。アッシュ本人は夢だと思って続行。で、元(記憶喪失)の状態に戻って、記憶が戻っていた時間の記憶が無い記憶喪失アッシュが面白くなくて(自分に嫉妬して?)第二ラウンドに突入。
の二つのうちどちらか、でした。(本当は三つあったのですが、三つ目はいつか私が書く、ということを承知しておられる上でのエールのようなものでしたので割愛します)
1が書きたかったですが、ソフトSMじみた葬式ごっこ、というくらいのぼんやりした設定しか作っていなかったので無理かなと思い、2にさせていただきました。
あんまりアッシュが暴走してませんが、よろしければすおう様、お持ち帰り下さい。一月以上もお待たせしてしまって、申し訳ありません>< (2011.08.28)